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方言の表現と - 山梨県域方言に はじ めに 口本譜に'うるおいが少なくなってきている。実体 ばが好まれるのか。数少ない語党を感性的に繋げて話さ る。これでいいのだろうか。よいはずがない。 それではと、洪語に頼りへ外来語に期待した安易さが、いかに 語をいびつなものにしてきたことか。それを、多-の人々が知って もいる。 どうしたら、日本語の表現を生きのよい姿に戻せるか。豊かで伸 展カのある日本語に育てようとすれば'少な-とも'方言の世界を 真撃に見つめるのがよい。そこには、古典語の綾を生かし'野卑な 言い方をも小気味よ-包みこんだ盟俄の海がある。その海には'均 質化に向かう現代日本語が失いかけた'創造性や活気が見える。 そこで'木棺では'方言の創造性や活力に注目しつつ'山梨県地 方の方言に見られる命令表現についてへ修辞方言学的な考察を試み てみたいと思う。 以下に、方言の表現の一つへ 「命令表別 で適切に使用されることばのしなやかさを記述 育成をめざす国語教育の方向を明らかにしたいO 一、命令表現をめぐって 毎日の言語生活には'ことばを通して'人と人との関わり令っ 為が基本にある。その言語行為に'発話者の表別意図が託される 聞き手は'伝達行為の約束郡を了解の上で'発話の意図を冊きと ろうと努める。こうして、会話がとり行われる。 会話が注釈なしで進行するためには'発話者と相手との間に、必 要十分な知識の苗精があるだろう。これが'社会的所産と言われる ところの言語の体系的側面である。ソシュールの用語では、それが ラソグと称される。ラソグは社会的習慣の形成物として、個人の外 にあり'同時に個人を拘束するものである。ある特定の個人は'幾 つもの社会集団の村合網 (ネットワーク) を放りながら生業を立て る。所吊するネットワークが広ければ広いほど'授雑であればある

方言の表現とその教育 - ir.lib.hiroshima-u.ac.jp...命令的表現質問的表現 ( (積極的行為要求の表現消極的行為要求の表現選述要求lL苗2a!求 暖随のようであるが'よく考えられてもいる.して'消極的か積極的かとするのなどは、柔軟な見分けかたである。右の要求表現の中に'「命令的表現」が見えるO命令的表現

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- 山梨県域方言に見られる命令表現の修辞方言学的分析を適して -

江  端  義  夫

はじ めに

口本譜に'うるおいが少なくなってきている。実体の希描なこと

ばが好まれるのか。数少ない語党を感性的に繋げて話され'書かれ

る。これでいいのだろうか。よいはずがない。

それではと、洪語に頼りへ外来語に期待した安易さが、いかに国

語をいびつなものにしてきたことか。それを、多-の人々が知って

もいる。

どうしたら、日本語の表現を生きのよい姿に戻せるか。豊かで伸

展カのある日本語に育てようとすれば'少な-とも'方言の世界を

真撃に見つめるのがよい。そこには、古典語の綾を生かし'野卑な

言い方をも小気味よ-包みこんだ盟俄の海がある。その海には'均

質化に向かう現代日本語が失いかけた'創造性や活気が見える。

そこで'木棺では'方言の創造性や活力に注目しつつ'山梨県地

方の方言に見られる命令表現についてへ修辞方言学的な考察を試み

てみたいと思う。

以下に、方言の表現の一つへ 「命令表別」を分析し'多様な場比

で適切に使用されることばのしなやかさを記述し'豊かな表現力の

育成をめざす国語教育の方向を明らかにしたいO

一、命令表現をめぐって

毎日の言語生活には'ことばを通して'人と人との関わり令っ行

為が基本にある。その言語行為に'発話者の表別意図が託される。

聞き手は'伝達行為の約束郡を了解の上で'発話の意図を冊きと

ろうと努める。こうして、会話がとり行われる。

会話が注釈なしで進行するためには'発話者と相手との間に、必

要十分な知識の苗精があるだろう。これが'社会的所産と言われる

ところの言語の体系的側面である。ソシュールの用語では、それが

ラソグと称される。ラソグは社会的習慣の形成物として、個人の外

にあり'同時に個人を拘束するものである。ある特定の個人は'幾

つもの社会集団の村合網 (ネットワーク) を放りながら生業を立て

る。所吊するネットワークが広ければ広いほど'授雑であればある

ほど'彼は社会的地位が高-もしかも幾つもの文体差を持った方言

(言語一が駆使できることになる。ここに言う社会的文体差が、ひ

ときわ問題とされなくてはならないものである。

そこでへたとえば発話者が'ことばによって相手を行為させよう

c

 

としたとする。はかない言の葉が、エネルギーを負って人をも動か

すのだからへ技巧や仕掛けがからむ。また'情味と理性とを持つ人

間胴体に'場牌に通わしい行動をさせなければならない。ぬきさし

ならない生活域面で、どのように表現が成立しうるかは'大いに興

味が持たれる。意味(発話者の意図) と形式とは'永遠の問いであ

ヴQC>

H 表現意図としての「命令」

大石初太郎氏は F話しことばの文型mI対話資料による研究

IL (昭和三十五年) の「研究の概要」で'表現意図を次のよう

に解説しておられる。

去現意図とは、言語主体が文全体にこめるところの、いわゆ

テ印へ。・門間.T*述・応筈などの内,V;のことで⊥r.-,i人=;"・-」>川

に'・af的i-.&.NL二蛇的七?ォ川し‡-TJHるこしIrPxKハ一.

ここに取り上げる表現意図は'1般的表現意図、すなわち、こ

とばの形式との対応が社会的習慣として認め_られるものである。

(4頁)

表現意図は'社会的習慣として、特故的形式によって表されるはず

だ'と仮定されている。その前粒に立って'「相手に対して求める

ところのある表現意図」が「要求表現」とされ'それが以下のよう

に下位分類されている.

-

質問的表現

命令的表現

(( lL苗2a!求

選述要求

消極的行為要求の表現

積極的行為要求の表現

右の要求表現の中に'「命令的表現」が見えるO命令的表現を二分

して'消極的か積極的かとするのなどは、柔軟な見分けかたである。

暖随のようであるが'よく考えられてもいる.

右の仕事は大石初太郎氏を中心に、飯豊毅一氏、宮地裕氏、吉沢

典男氏らの共同研究によってなされたものであるO彼らがこの日‥叫

で使用した資料では'ある明瞭な意識の下に、方言などが次の記述

のように'除外されている。

われわれのとらえようとする文型は'文型体系に屈すろもの

であって'それは現実の発話の賃料からそのまま導き山・Jれる

ものではない。文はの研究においてとらえられるべきものは'

社会の共通的な言語意識だといっていい。現実の発話は、もち

ろん'言語意識に基づいて実現されるものであるが'そこに'

 

 

 

 

種々の事情に由来するゆれやずれも少な-ない。まずへ特殊な

場合、個人的なくせとしてのかたよりもありうる。すなわち'

非共通的な個人の言語意識というものがありうる。これは拾て

られなければならない。次にへ種々の条件による臨時的な訳発

・況組・不足・重柁t.+の'ことばの不整があるQそれらは'大

体、言語意識からずれて出たもので'文型からほずれたものと

されなければならない。また、共通語の文規を求める立場から

は方言や各種の集団語や幼児語などの中にある、特殊な構造も

えり分けられなければならない.われわれが発話染料を文型研

究のために使うのは、それにへ共通的な言語意識の反映を期待

するからにはかならない。したがって'資料の上に、上記のよ

うな取捨送別が当然必要となる。収拾選別は'共通的な言語悲

誠に照らしてなされる。(同上書へ21頁。)

すな蝣」-^'共i?J治のl/刊を求蝣」.・;,:蝣<zTから'言--;&.*に具'-・El的小1¥-1

語窓識の反映を期待しているのである。ここでは'言語の生きて浮

動する屑の資料、股昧模糊としつつも地方色の淡厚な汽料は除かれ

てい一-,3

今日まで'未だ'方言についての'まとまった話判論や文蛸論は

著わされていないのが現状である.少な-とも'いわゆる修辞方言

学的観点に基づいて'方言の表現面を特徴形式との間仔で体系的に

とらえた仕事は'管見に触れ得ていない。方言の純粋な姿が消えて

ゆこうとしている現在'かかる仕部は急がれな-てはならないLt

資料の収集が計画的に行われなければならないだろう。

0モチーフとしての「命令」

表現意図は'発話者が相手に対して何かを告知し、相手に行為さ

せようとして、心内に抱いた感惜であろう。特定化していない包括

的な状態をとらえた呼称である。

ところが'方言生活の具体的な場面に行われる表現について見る

とき'そんな呑気なことは言っておられないのである。場面に蔽結

した即妙の言いかたが'表現の基本となる) 「取れ!」・「行-?」

・「いやだ!」等の判断行動が'生活行動と結びつく。去税が生活

上の行動と黙かっているので'表現意榊のように'ことば次元の

「表現」では済まされないわけである。

そこで'方言社会の言語意識に照らして'文型帰納をめざすべき

仕事には'別の呼称が必要だ、ということになる。筆者は、それを

修辞方言学と見なしている。その体系を'〟私説修辞方言学〃とし

て、述べたことがある (「修辞方言学新考 - 沈黙表現の習俗的記

号性」 r方言研究年報j第二十八巻'7九八五咋十二月)。太現」3回

は'表現修辞はにおける主題論の課題である。修辞方言学の中では'

それはスピーチの主題を論じる箇所で間題とされる。それらは、次

の関係表で示される。

語群は仙

様式論

惚文題論

㈲環境論

㈱話者論

aモチーフ (信仰/不思議/滑柿∠伶恰/舷梯

/願望¥ )

b話題 (逸話/自性詰蝣・蝣)

(場面論一

㈲生活時間論

㈲語群機能変容論

間技芸論

者の体系は'語群法の内部約紙である3話群はは滋呪修辞法の中の

7つとされる。そして表現修辞法は'昔修辞はおよび思惟修辞法と

張り合って'統一体としての修辞方言学を構成する。

ここで注目したいのは'「命令」が'方言生活上では主遜論の射

効な小テーマである'ということである。より正確に言えば'主題

論の中の「モチーフ」の論の小課題であると規定される.即ちへ話

者が、信仰や滑相のモチーフから発話するのとはちがってはいるも

のの'それと同じ主題の次元で'「命令」のモチーフを行うものと

考えられる。

では'「命令」のモチーフは、どのような特徴形式を見せて'社

会習慣となって実現されているかを'次に考えてみたい0

日モチーフとしての「命令」の構造

話しことばとむきことばとのちがいを越えて'命令表現と言われ

る「命令」のモチーフに'どのように特徴的な言語形式が見られる

だろうか3 いわば「命令表現の世界」とでも亭見るものを帰納して

みたい。これは共通語を内省して'「命令」の構造を、言語形式に

よって描-作業である。外枠によって開まれた全体が'命令表別と

言えるものである。

○行-こと!

○行:・

○行った'行った!

○解散!

願望表現

--一・一一 一‥ -lAl

判」. *滋

《当然に)

○行-べきだ。

○行ったらいいのに。

○行当鋤中川。

(腕曲に》

「○行-ようにね。

《希求して)

o行rij+t.'ォ蝣刊吋川。

rJ行PP-P-I

○行ってほしい.

《使役にして)

○利行羽山品捌画封到.

((蝣g⑧㊤⑬⑧咽の逆で))

- 4 -

○行くな。

○行ってはだめだ。

○行かないほうがいい。

○行かないがいい

○行かない'行かない!

○行かないこと!

○行くことを禁ずる!

P.モ LE .'; -to

○行かないで-れ!

○行かないで-ださい。

○行かないように!

○行かないで!

○行かないでもらいたい。

am罰し¥J"n

(○行かないでほしいO

○行かないようにしてほしい。

《勧誘して》

○行かないようにしよう。

《反語的に》

i: ○

どうして行くんだ。

○行-のか。

○行-ことがあろうか。

○行-んだって!

ォーi同什的に、 ,)

○行ってはいけないじゃないか。

○珊瑚矧山!

○でたらめを言う-

蝣蝣'蝣」語的に.))

○行かないか?

○行かないのか?

○行って-れませんか?

○行っていただけませんか?

《敬語で)

○行って-れ。

○行って-ださい.

〇行きな・nSJ

Oォln. ~茸in;

○ォ行割..

〇行習叫引画剖刊・)

勧誘表現

(促して)

○行くとしようか。

一 一一‥一 一一・ト-

○行ったらどうだレ

o打c,・'.:-・

命令表現

((単直に))

rJ行蝣V--・

このように'モチーフとしての 「命令」 の内実は、「判断表現」・

「願望表現」・「疑問表現」・「依頼表現」・「勧誘表現」・「命令表現」・

「禁止表現」の七つを包む構造体である3悦郎に「命令」と言って

も'中味は単純ではないのである.

さて、モチーフとしての「命令」の構造は'共通語におけるモデ

ルへいわば辞書的モデルだが、それは'すでに考察した。では'方

言においてそれがどのようであるかについて'次に考えてみたいと

B''う。山梨県地方の方言に例をとって'考察を試みる。

二'山梨県地方の方言に見られる命令表現

1九七三年から1九七六年までの三餌作問に'山梨氾地方域を'

隼討ひとりの臨地調査で採蝕した方言資料がある.以下の記述を'

それに基づいて行う。

先述の共通語に見られた「命八との構出では'使用琉度などの文

化的間.山については、不問であった。が'方八一.1では'よ-使われる

間に記述してゆ-のが穏当であろう.

さてt Hきことばでは、揖直な形式の命令表現は退けられがちで

ある。しかし'方言の生活では、動詞の命令形を'はっきりと形に

表して使うことも多い。したがって'命令表別の世界に'明瞭な命

令の特徴形式が見られるのが'注目される。

H「命令」の特批形式による命令表現

たとえば'動詞の命令形に'終助詞「シ」の添加したものが'特

に耳甘l L.つ。

It 「~シ」 (⑳班線部は'アクセントの高音部位をボす。)

O ikeSi.行きなさい。火山梨郷春日井町'1九七三。

o in.行きなさい。(日下に言う。)上品。北巨摩郡大泉村'

一九七三。

○訂iakui ikef Pi.早-行きなさい..(老女-・筆者一ていねい。

同上。

C・tuindsa: 葛si:.では'行きなさいよ。東山梨邦牧丘町

窪平へ 1九七六.

〇ik~at/a:.行きなさいってば。(やや下品一北巨搾郡大泉

村へ 1九七三。

「行け」 (命令形) の赤裸々な言い方に'「シ」 を付けると、優し

さが生まれる。女も男も'これを好んで使用する。

○kn)劃so訂削ma.引mesi:.共がそこにあるでしょ

う。飲みなさい。東山梨郡牧丘町洋平へ一九七六。

o isoidet巳~引Ji:.急いで走って行きなさい。同上O

「トブ」は「走る」の志だそうだ。おもしろい。

ok引副引馴roJij引気をつけなさいね。同上。

共通語の語感では、これらに'ぶっきらぼうで粗野な印象を抱かれ

るかもしれないが'決して'そうではないo 「~シ」は優しみを含

んだ丁寧㍍として機機しているのである。

孫とか仙人とかへも'「シ」は使用できる。

o itte koH Ji.行って来なさいよ。東山梨郡春日井町'1九七三。

O mattero Ji.待ってなさいね.同上。

o oF~引Jijo.起きなさいね。西八代邦大門町t T九七六〇

あるいに、初対面の来客に対しても、

oo引to: ke別封引 ).i引Jijo.あなたも、二所蛭命へ方言

の) 研究をしなさいね。(老女1筆者) 同上。

のように「シ」が用いられるLt

oa引Ji.座敷へ上がりなさいo北巨輝部小判沢町二九七三。

のように'家へ上がるように勧められ'ついには、

O tabereJi.食べなさい。同上3

のように'もてなしを受けることになる3敬語の助動詞の助けを折

りずに'命令形に「シ」を付加するだけで'済ますのである?敬意の

振棚は狭い。山梨rIt域での「クベレシ。」に相当する言いかたがち.良

野県佐久地方では「kurwajare.Jであるという。山梨EHt地方では'

終助詞「シ」が動詞の命令形に添加するという原初的な用法である

のに対して'佐久地方その他では'敬語法の助動詞が使用されてい

るところに'新しいちがいがある。

りl、「動詞の命令形」+「セL

O叫tsuidemo打~針sejo.いつでもお山でなさい。(老女1老塑

あんま機を借用に来た隣人への丁寧な導言3両巨摩邦両部町内

舶'1九七六o

o itsuidemo tjos sejo.いつでも-ださいね3同上3

この・1日いかたが'両部町内船あたりだけなのかどうかは、分からな

い3丁寧なもの言いとされている。

3'・「動詞の命令形」十「ヤレ」

o ike iare.行けよ。北巨輝群小捌沢町へ一九七三。

o so:Jirojare.そうしなさいよ。同上3

土地人同士の会話には脚かれるが、「ヤレ」は、客人に対しては使

m川されに-い。

4、「動詞の命令形だけ」

oho引madetabero.骨まで食べろ3南都留郡河口湖町大石'

7九七六。

os91引司叫raoitoke.そのまま'Fd.いておけ.北巨摩部高根町'

7九七三.

〇handebui叫Jare.度々'うち捨てろー東山梨部牧丘町挫平t

T九七六。

「そのまま」を「ソノイチラ」と い'「度々」を 「ハンデ」と言

うのは'いかにも地方弁らし-て興味ぶかい。

5'「動詞の命令形」+「ヨ」

o honenote tabero jo.骨ごと食べろ)而都留邪道志村田代'

1九七六。

o ho引okio tsuiketetabero iottjui‥tokimoarm.骨を気を

つけて食べろよと言うときもある'同トP

これら二例は'共通語と同じ形式の命令表現である。

-j'jて、「命令」の特徴形式による命令表現に次いで多いのが'「班

頂」の持徴形式をとった命令表別である.

〇「依桝」の特徴形式による命令表現

1'「動詞の連用形」+「ナッテ」

o o引te.お食べなさい。北巨摩些内税町五町田'1九七三。

o o引引te.おあがりなさい3 北巨摩部大泉村へ 7九七三。

人に会輔を勧めるときの言いかたである3夕方の挨拶では、

o sa:ojimainatte.さあ'おしまいなさい。北巨摩部高根町五

町田'1九七三°

のようであり'「ナッテ」は外交性の強い敬語である。「ナシテ」が

「ナッテ」に代わって使われることもある (大泉村)0

N.「~してクソネ1」

o k劃:Jitekui引‥.勘定をしてください.北巨摩郡大泉

村t T九七三。

o T‥hanajiokik引jat酎ne:.いい話を開きながら'

欽会して-ださい.同上。

3、「~してクダサイ」

o cka: makajitoite kui針勘i.では、まかせておいて-ださ

いo北巨摩部長坂町t T九七三。

言語形式もその機能も、共通語のと殆んど同じだと考hJてよい。

4'「~してクレ」

o oiatokara otjamottekitekuire.おいへ 後からお茶を持

って来て-れ。北都留郡上野原町机原t T九七六。

同等以下へのもの言いに、この言いかたが見出される。

5

'

これは「クレ」と「ヨ」との熟台形であるO

O kani daヽitoitekuirjo.

鍵を出しておいて-れ。(中東も青女)

-is;3=33.^.-1柑町人石'一九七六。

この言いかたは'同等以下への表現に、多-聞かれる。

6'「動詞の命令形」十「シュー」

o de引ni ikejje: jo.道中ご無事で行きなさいね。(老女1筆

煮西八代郡下部町上之平'1九七八。

特E-,(な¥'"2いかたとして'注目される。

以上が'「依頼」 の特徴形式をとった'広義の命令表現に関する

概述である.次には'禁止表現の特徴形式をとった'広義の命令表

現について考えたい。

臼「禁止」の特徴形式による命令表現

山梨県地方域の方言で'最も注目されるものの1つに'禁止の

「チョシ」がある.

1'「動詞の連用形」+「チョシ」

o antaanouitjiejottjoJi.あなた、あの家へ立ち寄っては

いけないよ。南巨摩郡両部町内舶't九七六。

○Ji剖‥Ji:.するなよ。西八代郡市川大門町へ 7九七六。

「チョシ」についての数え歌ができているほどに'これは盛んで'

愛用されている。「チョシ」の「シ」を除いて「チョ」になったも

のも多い。

ohadajidea封i tjo.detjo.素足で歩いてはいけないよ。出

るなよ。(中男の教示一北巨摩郡大泉村'一九七三。

2'「~して (は)ダメダ」

odeko:kat引」町叫tja:damedajo.た-さんHってきては'だ

めだよ。(子どもへのたしなめことば一再都留都道志村田代、

7九七六。

晶の膨大なことをも'「デコ-」と音っのがおもしろい。「ダメ」

(駄目)は'「チョシ」の隆盛に圧倒されて'少ない。

3、「~してはイケン」

osonnakotoJit/a: ikejijo.そんなことをしては'いけな

いよ。西八代郡市川大門町、1九七六。

「イケソ」はあまり聞かれない。

4t r~してはイカソ」

0-Jiteikand3a ne‥ka. してはいけないじゃないか。東

山梨部牧丘町窪平'1九七六。

「イカソ」もあるが、これは「イケソ」よりもさらに少ない。

EMI^fS四囲

ode引kotobaka kokjaoanu.でたらめなことばかり

'

-

-

'

U

'

叫災を邦々し-指摘することによって'それを禁止する言いかたで

+-u--5さ

て、次には'疑問表現の形をとって命令表現を仕立てているも

のk>号.∵'j/.:3

印「妊間」の特徴形式による命令表別

1'「~しないか」

oattji: 酎臼ke.あっちへ行こうよ。東山梨郡牧丘町窪平、

一九七六。

2'「~して-れるかい」

ohot引nnjm:30:kenitjimaijat訂J削引引ke:.堀田さん'

入以券を1枚売って-ださいよ。甲府市北口t T九七六。

疑間表現の形をとりながら'実際は'次の勧誘表現に包含されるも

のが多い。

的「枇誘」の特徴形式による命令去現

1、「~しよう」

えいは5

o e副引no tokoni iko:jo: 英坊の所へ行こうよ。(少男-同一

南都相即道志村田代へ 1九七六。

2'「動詞」+「ベ-」

o jame:iguibe‥jo:.山へ行こうよ。同上3

0"郡内のbe:be:訂tobagajandaraba karita(jakmrjo‥ka・

引be:.・惑内の「ペーペーことば」が止んだならばへ借りた

百両を返しましょう.都留市上谷'1九七六。

こんな諺があるほどに'「部内」では'「ベI」ことばが蛸んである0

3'「l諾いさし」の挺示

ojot引tja:.ke:rini.立ち寄っていってはどう?帰りに。(%

j

Z

,

 

 

 

 

 

 

'

.

J

'

これらの・-.1iいかたは、命令表別の中で'1群の特色あるまとまりを

見せていよう。

以上のように'山梨以下の命令表現には、様々な特徴形式が軍り

れ、方言色の豊かな情況が察知された。特徴的な言語形式に収赦し

がちでもあった。そうでありながらもへまた'多様な様相も見せて

いるごのるいは'直接的な動詞の命令形に終助詞の「シ」を付すだ

-        上∵  (' ''∴∴は.'-/;燕・

俄斜しがちであろうか。

山梨蛇地方の命令表現の世界は'独特のものとして'共通語のと

は異なって鮮やかである。モチーフとしての「命令」が'純粋に表

出されてもいる。依頼や勧誘に助けられつつも、命令の外形が療然

としているのである。他方'禁止の「~チョ (シ)」が特色のあるも

のとして際立つ。言うまでもなくこれは'古語は「な~そ」 (禁

蛙の残存である。歴史的現実に甘んじながら'地域的な志志が働

いて'収拾迷択がなされ'山梨県地方域なりの'命令表現の風情を

見せているのである。

三'_豊かな表現力の育成を目ざして

-'文法から修辞へ

又法は'文中の語と語との緊密な支配の関係を'体系的に問題と

するから'表現法とは次元が異なるものである。文は'仮りに文構

造と文よ現とに分けることができよう。ところでへ文構造の論は文

法と言ってもよいが'文表別の論は'はたして「文法」の枠に入る

だろうか。もちろん'文法と去別法とは不即不離の関係にあること

はltE的ない。文豪現の論をはじめとして'個人または社会的集団的

・u志の発動によって生成された表現事実は'修辞の次元で考察して

ゆ-ことが望ましいと思う。

リ】'科学と文学との関

北に出たような「命令のモチーフは'放義の文法の仕事というよ

りは、位畔方言学の仕事である3会話の主題を論刑化する作業が'

この判での主要な課題である.

1見、科学的であるが'追試が必ずしも容易ではない.どちらか

といえば、文学に近いかもしれない。しかし'言語輔実に基づ-棉

的作仲七は'虚構のそれではない。それゆえ'スピーチの主題論など

は'科学と文学との間に存在するものと考えられる。

3'共通語化または標準語化

方!=は'文化の発展や都市化などの社会的事情の変木に随伴してI

急速に'なくなってきた3間代ごとに'方言保有虫の激しい減少が

見られJ・(う。特に'若年層へ向かうに従って目立つのが'共通語化

または概難語化の現象である。方言は亡-なりはしないが'生活様式

の均7化につれても'古いことばを使う場が少なくなってきている

ことは解かだ。その事実の悲劇を'しっかりと自覚すべきである。

4、反共通語化'または反標準語化

税制なものが位もよいものであるtとは言えない。広く行われて

いるものが、よいものであるとは限らない.掠準語(共通語) は'

保守的で'規範的である。論稚的で明断だが'情緒性に欠ける.料

社会には適用し易いがへ平等社会には慣じみにくいことばである。

方言を見なおそう。_は非人の言語生活を'修辞方言学の見地で解

釈し直すことが必要だと思う。地域仕出の創造的表現は、よそこと

ばでない〓己の方言が竹前されることによって初めて、日出な想像

力をとりこむことができる。

地域に、白由無擬で、規範にとらわれない野趣が大事だと自覚さ

せたいものである.方言は'卑しむべきものではない。方言の清新

な生命を推び、耐1化に抵抗してゆきたいものである。

5'集川的作耕

方ユ1.=は'たいてい'作者が不例である'共同社会の方言であれば'

それはすでに'集団の賛成を得て共通感覚に立つものであるoした

がって'祉会心別学的見地で方言を分折することに'1定の意味が

ある'方''""Tに'袋田の精神風土が見えてくるであろう。

10

6、礼会の多個化構造の把糾

方言には'地蝕的な仰面と社会階榊的な川面とがあろう。それら

の絡み合った立体的神合性の中で'個々人の言語生活が行われてい

る3 この'いわゆる多層化構造を余儀な-されている個体の方言生

活を'臼覚的で独創的なものにしなければならない。

7'言語火的調柴を経る

方.-=は独創的であるように堪えて'宍際は'文化地別学の法則通

りに、文化の高い方から低い方へと伝播の別に従って動いているに

すぎない場合が多い。これでは'かなしい。賢明な方言使用者にな

るためには、碓かな朕史観に立って'言語史のiE統を見究めつつ、

有川な泊を創造して'盟かな言語生活を築いてゆかなければなるま

e-O

8'11本語表現力を豊かで個性的なものにするために

共油紙における命令表現の他界は'百科全書ふうに多様でありt

i.仙機班であった3子机に対して'方言における命令表現の世界では'

限出され遭糾された言語事象が'好んで使われてきた。個性とは、

後者のようなものを亭っのであろう。

の火 力を-'¥-.に-!-?-{iォに'私どもは'共m*…の去睨.に

方言の個性を継ぎ思して活力のある表現生活をつ-つてゆきたいも

0

1

1

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教臼の別項は.亭っまでもないが'あらゆる生活の場を利用して'

表現の発想をみかいてゆかな-てはならない。これは、仝生活をか

けた蝣,- J-^--J. '<!蝣八日でォ:∩,'

 

 

 

山梨思中巨摩郡芦安村で聞いたことばに'

〇、、、中山パ オ引ツー刊列 判。村の衆は堕 土地っ子だよ。(老女

1笹者) 1九七六。

○ア引可剥ク ラ引~ゴーユ日。上の部落の衆は'ことば通い

を先っぽ-簡略に言,つ。(中女1珊者) 7九七六。

というのがある。「オイッキ」「ラクコー一こは'口部の大和ことば

を生かした、分かりやすい造語法をとっている。「土地っ子」「簡略

に」よりも'「オイッキ」「ラクヨーニ」のほうが、語性の点でも勝

れている。

方言の感性に学ぶことが大事だと思う。日本語の表現力を個性的

でr*-Jかなものにするために、修辞方言学的観点で表現の分析を行い'

方言の創造的感性をつかみ、すすんで'精臓的な言語生活を築いて

ゆけ′るようにしたいものである。

国訴教円上では'教科書の文章の無機質さから脱して、つねに、

受容者である脚の生従や子供の一人1人の発想班にもとづ-言語表

現を伸ばしてやる方向への配慮が必要である。方言話者である国民

1人l人のことばをLfEてるのが責務であろう。

方 の研究は'学問のための学問ではないOそれは'究械的に生

存追求の学であり'言語教育の学であり'人間科学なのである。

(木学部助教授)

二九八六年7月五日)

!!!

∧参考文献∨

凹∴gT^所r話しこしI'llの¥JWm - 対話」料による研T-J

- J (1九六二年)

同上F話しことばの文型惚 - 独話資料による研究 - し 二

--j-・/"蝣:午)

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稲壇iI三幸・清水茂夫「山梨Ejiの方言」(F講賭方言学6-中部

地方の方言-』 1九八三年)

江m義夫「方言修辞学に向けて「(「国文学致」第百号、1九

八三叩)

同士「会話方言学考-福山市春日町吉田の方言会話について-」

1i"-.'山川'>"~^f--'J-し 「九八Sfr)

同上 「修辞方言学新考-沈黙表現の習俗的記号性」 (r方言研

'Jj年  量?.^' 九八.#叶)

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