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16 パイド・パイパー特集 長門芳郎 一問一答 上柴とおるとパイド・パイパー パイド・パイパー・デイズ2012紹介 芽瑠璃堂マガジン『ROOT』 #016 Pied Piper Days

Pied Piper Daysmerurido.jp/_ebook/EBMMAG0016.pdfPied Piper Days シリーズ監修、ビリーヴ・イン・マジック長門芳郎 一問一答 南青山の骨董通りにパイドパイパーハウスという小さ

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16パイド・パイパー特集長門芳郎 一問一答上柴とおるとパイド・パイパーパイド・パイパー・デイズ2012紹介

芽 瑠 璃 堂 マ ガ ジ ン 『 R O O T 』 # 0 1 6

Pied Piper Days

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Pied Piper Daysシリーズ監修、ビリーヴ・イン・マジック長門芳郎 一問一答

 南青山の骨董通りにパイドパイパーハウスという小さ

なレコード店が誕生したのは1975年のこと。店のモッ

トーはロック、ポップス史に残るヒット作品だけではなく、

無名ながら埋もれさせるには惜しい素晴らしい音楽にス

ポットを当て、紹介していこうというのものだった。ヴァン・

ダイク・パークスやドクター・ジョン、ケニー・ヴァンスの

新譜がマイケル・ジャクソンやマドンナの数十倍売れ、

カット盤LP(廃盤)の中からはロジャー・ニコルズ&ザ・

スモール・サークル・オブ・フレンズ、アルゾ、マーク・ジ

ェイムズ、ハーパース・ビザール、トレイド・マーティン、

デヴィッド・キャシディ等、パイドパイパー独自のベスト

セラーも数多く生まれた。そんな他店にはない個性的

な品揃えで音楽マニアの集まる店となり、常連客でもあ

った村上春樹さん、田中康夫さんの小説にも登場する

ことになるのだが、1989年、惜しまれつつ閉店。

 前置きが長くなったが、パイドパイパーハウス閉店か

ら14年後の2003年にスタートしたのがBMGジャパン

の「パイド・パイパー・デイズ」シリーズ。ロック名盤ガ

イドにも載ることなく、人知れず時代の趨勢の中で埋も

れていった優れた作品に光を当てるというパイドパイパ

ーハウス時代の精神を受け継ぐ、再発企画だ。2003

年の第1回発売の目玉はアルゾのファースト。これは、

何十年も前から再発したいと思っていたアルバム。

2000年に一度、再発を企画し、片岡知子さんにライナ

ー原稿も書いてもらっていたが、直前にアリスタに発売

権がないことが判明し、中止を余儀なくされたものだ。

しかし、なんとしてでも世に送り出したいという強い気持

ちは変わらなかった。そんな執念が通じてか、アルゾ本

人を見つけ出し、彼に会いに渡米、トントン拍子に再

発が決まり、さらに未発表セカンドも出すことが出来た。

あの時の感激、達成感は多くの再発を続けてきた中で

も一番大きいものだった。現在は、BMGがソニーに吸

収合併されたため、ソニーを通じてリリースが続いてい

る「パイド・パイパー・デイズ」。BMG時代の第1回目

からずっと担当していただいているディレクターの関口茂

さんと共にこれからも有名無名、ジャンルを問わず、時

代を超えて「聴かれるべき」グッド・ミュージックを紹介

していきたいと思っています。

ビリーヴ・イン・マジック 長門芳郎

Q1. パイド・パイパー・デイズ(PPD)をスタートすること

になったきっかけを教えて下さい。また、発売するタイト

ルはどのようにして選んでいますか?

 長年、アルゾのアルバムを再発したいと思っていて本

人を捜していたところ、本人と連絡が取れ、権利関係が

クリアできたことが全ての始まりです。頭の中に昔から再

発したいと思っているアルバムのリストがあって、その中

からBMG/Sonyが権利を有する作品を4~5枚ずつセ

レクトしています。

Q2. 2003年に発売された第1回発売の4タイトルを選

んだ理由を教えて下さい。

 一見してバラバラなセレクトですね(笑)。ジャンル限

定じゃない再発シリーズだということをアピールしたかっ

たという気持ちはありました。キャシディはアイドルとして

デビューしたため正当に評価されてきませんでした。そこ

で、なんとかしたいなと。エリック・アンダースンは友人

の渚十吾のリクエスト。グレアム・グールドマンはたまた

ま当時よく聴いていたから。

Q3. 今までに発売してきたタイトルの中で最も思い入れ深

いタイトルを教えて下さい。

 やはりアルゾのファーストと未発表セカンドでしょうか。

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Q4. PPDを出してきて良かったと思える出来事やエピソ

ードはありますか?

 アルゾのような日本のホンの一握りの音楽ファンにし

か知られていなかったアーティストや作品が日本のみな

らず海外でも評価されるきっかけになったこと。見ず知ら

ずの多くの音楽ファンの方に「アルゾの音楽に出会えて

よかった」と言ってもらえたこと。

Q5. PPDで出す予定だったものの何らかの事情で出せ

なくなった作品はありますか?

 リック・ダンコのアリスタ盤。エリック・アンダーソンの

アリスタのもう1枚『Sweet Surprise』もなぜか許諾が

下りませんでした。マーク・ジェイムズも。

Q6. 今後、PPDで発売していきたいと思っているタイトル

を可能な範囲で結構ですので、何点か教えて下さい。

 期待もたせて出せなかった時のショックが大きくなる

ので秘密にしておきましょう。

Q7. パイドパイパーデイズ以外に手がけた再発で印象深

い作品をいくつか教えてください。

 1993年にポニーキャニオンから出した『BEARSVILLE

BOX』(数年前、JVCから数曲プラスして再発)。この

時はウッドストック、ベアズヴィル・スタジオのテープ倉

庫にひとり籠り、未発表音源を発掘。3枚組のボックス

にはボビー・チャールズ、ポール・バターフィールド、リビ

ー・タイタスほか世界初お目見えのレア音源を収録しま

した。サリー・グロスマンの計らいでスタジオ近くのロビ

ー・ロバートソンの家に滞在、夢のような1週間でしたね。

この際、見つけたトッド・ラングレン、ベターデイズ、ボビー・

チャールズ、ジェシ・ウィンチェスターらの未発表音源は

後にJVCから発売されました。

 2000年にドリームズヴィルからリリースしたカート・ベッ

チャーの『Misty Mirage』。ミレニウム関連の未発表音源

をリサーチしている時にロスアンジェルスのサウンド・シテ

ィのテープ倉庫にキース・オルセンやカート・ベッチャー

が残したマルチテープがあるということが判明、現地に飛

び、カート・ベッチャーの幻のソロ音源を世に送り出すこ

とが出来ました。ミレニウムの元メンバー、ジョーイ・ステ

ックや女性音楽ライター、ドーン・イーデンも協力してくれ、

世界に誇れるリリースになったと思います。 

 これもドリームズヴィルですが2000年に世界初CD化

したFull Moonのファースト『Full Moon』(1972年)。

フルムーンはそれこそ80年代から何度も再発企画をレコ

ード会社に持ち込み、その度に権利関係不明ということ

で断念してましたから、20年の執念が実ったという感じ

でした。この時は原盤権をメンバーのバジー・フェイトン

が買い戻したということを突き止め、本人と会いにロス

まで行きました。オリジナルのマルチテープを見せてもら

い、彼の自宅で爆音で聴いた時は昇天するかと思うほ

ど感激したものです。2年後にはフルムーンの新作の企

画制作も行ない、レコーディングでフェイトンのギタープ

レイを目前で観ることが出来たことは忘れられない想い

出です。

 これは邦楽ですが細野晴臣の『CROWN YEARS 1974

-1977』や鈴木茂の『CROWN YEARS 1974 -1979』は当時、

マネージメント、制作に関わっていただけにやり甲斐のあ

る仕事でした。

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Q8. 音楽に興味を持ったきっかけと、音楽遍歴、バック・

グラウンド/ルーツをお教え頂けますでしょうか?

 物心つく前から身の回りに音楽があったという感じです。

生まれも育ちも長崎なのですが、教会の真裏に住んでい

たので教会が遊び場でした。幼稚園もメソジスト系、小学

校時代も自宅で母親主催の賛美歌を歌う集まりがあってい

つも歌ってました。幼稚園の米国人園長の家でハリー・ベ

ラフォンテを聴かせてもらったのがポップス初体験ですね。

自分のお小遣いで最初に買ったのはコニー・フランシスの

シングルかな。60年代前半はフランキー・アヴァロン、ニ

ール・セダカ、デル・シャノン、ジーン・ピットニー、ジョニー・

ティロットソン等に夢中でした。一番の衝撃はラヴィン・スプ

ーンフルやローラ・ニーロと出会ったこと。グリニッチ・ヴィレ

ッジ/ウッドストック/ニューオーリンズ/ソフト・ロック/ス

ワンプetc、そんな音楽嗜好はいまだに変わってません。

Q9. 最近ではどのようなアーティストに注目していますか?

 Jacco Gardner、Johan Christher Schütz、mori wa ikiteiru

Q10. 現時点で「音楽」以外に興味のあることは?

 国の行く末。

Q11. 今後取り組んでいきたいことや、夢、目標などがあれ

ば差し支えのない範囲で結構ですので是非お教え下さい。

そして、長門さんにとってずばり「音楽」とはなんでしょうか?

 昔から好きだったアーティストの新作制作。新たな才

能を発掘し、世に送り出したい。80~90年代にはある

程度実現できたことが今の時代はなかなか思うようにで

きないのですが。「音楽」とは人生の一部。

Q12. 最後に、長門さんにとっての生涯の名盤/お気に

入りの作品を現時点でのもので結構ですので、9タイトル

教えて下さい。

 ムリです!悩ませないでください(笑)。とりあえず9

枚の内に入る3枚。(順不同)

The Lovin Spoonful『Daydream』

Laura Nyro『New York Tendaberry』

The Fifth Avenue Band『same』

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アナログからCDへと移り変わる過程でたくさんの‘音源財産'を私に蓄えさせてくれたパイド・パイパー・ハウス、それに続くビリーヴ・イン・マジックに改めて感謝したい♪

文=上柴とおる

 1970年代から大阪に本拠(当時)を置く会社

に在籍してレコードの販促紙の編集をしていたこと

もあって毎月、2泊3日ぐらいの出張で東京へは出

かけていたが仕事の合間を見て立ち寄るといえばほ

とんどが水道橋とか銀座等の中古レコード店、もし

くは渋谷の輸入盤店「すみや」。青山方面までは足

を伸ばさなかった(どうもおしゃれ?なイメージのあ

る土地は自分には似合わなくて~)。とはいえ音楽

雑誌の広告等でよく見かけた「PIED PIPER

HOUSE」と言うお店のことは気になっており、つ

いに訪問するに至ったのだが、しかしそれがいつの

ことなのかがどうも判明しないのだ。小学5年生の

3学期の終わりから(現在に至るまで)つけている

日記で「この頃かも?」とあたりをつけて調べても

見当たらない。これまた中学2年時の元旦からの

記録が残っている小遣い帳をチェックしてみても(か

つてはレコード等を買うと店名と合計金額をつけて

いたので)見つけられず。パイド~は通販も行って

いたので毎月リスト(ニュースレター)を取り寄せて

せっせと購入していたのだがその記録だけは見つ

かった。小遣い帳によると1985年5月からパイド

~の通販を利用し始めたようでそのリストの内容の

充実ぶりから「いっぺん店をリアルで見に行きたい」

という興味がムクムクと高まり、それで出張の折り

に行ってみようと(会社は1980年3月で辞めて自

由業になりコンベンションや取材等で東京へ行くよ

うになっていた)。

 とにかく普通の輸入盤店にはまずないような細や

かな品ぞろえにわくわくしたのを思い出す。まさに

かゆいところに手が届く。特定のジャンルや年代に

特化した店ではないのだが私のような‘1960年代

派'にとっても「我が意を得たり♪」。他のお客さん

もみんなそういう気分に浸ることが出来たに違いな

い。前向きに陳列されている新しい世代によるよく

知らない盤にしても「これってええのかも♪」と思

わせられてしまう。「こういうのを聴かなければダメ」

みたいな押しつけがましいところもなく、またバブ

ルガム系のヒット・ポップスであっても決して軽んじ

るようなことはなく扱いは平等(これ、大事。他所

の店ではなかなかそうはいかない)。あっちゃこっちゃ

から美味しい素材(Good Music)を取り寄せて

来るというスタッフの‘目利き'が行き届いており、

リストの説明書き等を見てもわかるがお客さんの興

味・関心と同じような目線で記されているのが共感

と信頼と安心感を抱かせたのだろうと思う。

 何というか、私にとってはいろいろな音楽をベー

スにポップ・ミュージックを奏でていたラヴィン・ス

プーンフルみたいな雰囲気を漂わせていた居心地

の好いお店、みたいなあれで(ってとってつけたよ

うなあれだが)「東京近辺に住んでる人はええなぁ。

大阪にはこんな店ないし」と悔しい思いをしながら

毎月、リストをチェックしていたものだが、まだネット

も何もなかった時期ゆえにそのリスト自体がまた貴

重な情報源にもなっていた。それらはすべて残して

あるのだが、今見返してもなんか楽しくなって来る

♪(赤ペンでのアンダーラインもいっぱい!)。そうそ

う、1986年にはパイド~がレーベル「ビリーヴ・イ

ン・マジック」を設けてリリースした山下達郎のア

マチュア時代の音源の復刻盤(アナログLP)や

村松邦男(元シュガーベイブ)の新作クリスマス盤

(30㎝シングル)も購入した。こういうことまでま

でやってくれるパイド~は単にレコード店というだけ

ではなく文化の発信拠点でもあり、音楽・放送関

係者やアーティストの顧客も少なくなかったという

のは頷ける話だ。

 パイド~は1988年に店舗を閉めて、その後、

店長だった長門芳郎さんは自主レーベル名でもあっ

た「ビリーヴ・イン・マジック」を社名に同じ青山の

地に新たに事務所を構えて(マンションの一室)

通販業務も再スタートさせるのだが、私は引き続き

顧客となるだけではなく、事務所にもたまにお邪

魔させてもらうようになった。入荷したばかりでま

だリストにも掲載されていない新鮮なとれとれの

CD(主に復刻音源)を見せてもらってその場で即、

購入したり(注文していた盤を出張のついでに受

取りにも。郵送料が‘浮く'し♪)。スタッフの女性

や長門さんとのマニアックな話もほっこり気分にさ

せてくれたが、そういえば長門さんに初めてお目

通りが叶ったのはいつ、どこでなのか?これまたはっ

きりと思い出せないのだ。店舗時代にはどなたと

もしゃべっていなかったし(人見知りをするので)。

 お名前はパイド~を利用するよりもずっと前から

存知上げていたが、その軸になったのは木崎義二

さん(私を‘育てて'くれた音楽雑誌「ティーンビー

ト」の元編集長で音楽評論家)が毎月発行するポッ

プスの研究誌(いわゆるファンジン)「ポップシク

ル」。ここに私も長門さんも原稿を書いていたのだ

が、気が付いたら仕事(ライナー等)を頼まれたり、

頼んだりするようになっていた。ファンジンという

のは寄稿者も読者もお互いに存在を認め合う仲間

意識というか空気感を共有するようなところがあ

る。それにラジオ番組や取材等でよく一緒になった

山下達郎(彼も「ポップシクル」に書いていた)、

伊藤銀次といったお歴々からもパイド~や長門さん

のことを聞いていたので人見知りをする私でもすぐ

に打ち解けられたのかなぁと思う。外人ミュージシャ

ン等に私を‘うちのヘヴィー・カスタマー 'と紹介し

てくれていた長門さんが主宰する通販「ビリーヴ・

イン・マジック」は時代の流れによりその後

Closedとなってしまったが、アナログからCDへと

移り変わる過程でたくさんの‘音源財産'を私に蓄

えさせてくれたパイド・パイパー・ハウス、それに続

くビリーヴ・イン・マジックに改めて感謝したい♪

Page 6: Pied Piper Daysmerurido.jp/_ebook/EBMMAG0016.pdfPied Piper Days シリーズ監修、ビリーヴ・イン・マジック長門芳郎 一問一答 南青山の骨董通りにパイドパイパーハウスという小さ

 1970年代から大阪に本拠(当時)を置く会社

に在籍してレコードの販促紙の編集をしていたこと

もあって毎月、2泊3日ぐらいの出張で東京へは出

かけていたが仕事の合間を見て立ち寄るといえばほ

とんどが水道橋とか銀座等の中古レコード店、もし

くは渋谷の輸入盤店「すみや」。青山方面までは足

を伸ばさなかった(どうもおしゃれ?なイメージのあ

る土地は自分には似合わなくて~)。とはいえ音楽

雑誌の広告等でよく見かけた「PIED PIPER

HOUSE」と言うお店のことは気になっており、つ

いに訪問するに至ったのだが、しかしそれがいつの

ことなのかがどうも判明しないのだ。小学5年生の

3学期の終わりから(現在に至るまで)つけている

日記で「この頃かも?」とあたりをつけて調べても

見当たらない。これまた中学2年時の元旦からの

記録が残っている小遣い帳をチェックしてみても(か

つてはレコード等を買うと店名と合計金額をつけて

いたので)見つけられず。パイド~は通販も行って

いたので毎月リスト(ニュースレター)を取り寄せて

せっせと購入していたのだがその記録だけは見つ

かった。小遣い帳によると1985年5月からパイド

~の通販を利用し始めたようでそのリストの内容の

充実ぶりから「いっぺん店をリアルで見に行きたい」

という興味がムクムクと高まり、それで出張の折り

に行ってみようと(会社は1980年3月で辞めて自

由業になりコンベンションや取材等で東京へ行くよ

うになっていた)。

 とにかく普通の輸入盤店にはまずないような細や

かな品ぞろえにわくわくしたのを思い出す。まさに

かゆいところに手が届く。特定のジャンルや年代に

特化した店ではないのだが私のような‘1960年代

派'にとっても「我が意を得たり♪」。他のお客さん

もみんなそういう気分に浸ることが出来たに違いな

い。前向きに陳列されている新しい世代によるよく

知らない盤にしても「これってええのかも♪」と思

わせられてしまう。「こういうのを聴かなければダメ」

みたいな押しつけがましいところもなく、またバブ

ルガム系のヒット・ポップスであっても決して軽んじ

るようなことはなく扱いは平等(これ、大事。他所

の店ではなかなかそうはいかない)。あっちゃこっちゃ

から美味しい素材(Good Music)を取り寄せて

来るというスタッフの‘目利き'が行き届いており、

リストの説明書き等を見てもわかるがお客さんの興

味・関心と同じような目線で記されているのが共感

と信頼と安心感を抱かせたのだろうと思う。

 何というか、私にとってはいろいろな音楽をベー

スにポップ・ミュージックを奏でていたラヴィン・ス

プーンフルみたいな雰囲気を漂わせていた居心地

の好いお店、みたいなあれで(ってとってつけたよ

うなあれだが)「東京近辺に住んでる人はええなぁ。

大阪にはこんな店ないし」と悔しい思いをしながら

毎月、リストをチェックしていたものだが、まだネット

も何もなかった時期ゆえにそのリスト自体がまた貴

重な情報源にもなっていた。それらはすべて残して

あるのだが、今見返してもなんか楽しくなって来る

♪(赤ペンでのアンダーラインもいっぱい!)。そうそ

う、1986年にはパイド~がレーベル「ビリーヴ・イ

ン・マジック」を設けてリリースした山下達郎のア

マチュア時代の音源の復刻盤(アナログLP)や

村松邦男(元シュガーベイブ)の新作クリスマス盤

(30㎝シングル)も購入した。こういうことまでま

でやってくれるパイド~は単にレコード店というだけ

ではなく文化の発信拠点でもあり、音楽・放送関

係者やアーティストの顧客も少なくなかったという

のは頷ける話だ。

 パイド~は1988年に店舗を閉めて、その後、

店長だった長門芳郎さんは自主レーベル名でもあっ

た「ビリーヴ・イン・マジック」を社名に同じ青山の

地に新たに事務所を構えて(マンションの一室)

通販業務も再スタートさせるのだが、私は引き続き

顧客となるだけではなく、事務所にもたまにお邪

魔させてもらうようになった。入荷したばかりでま

だリストにも掲載されていない新鮮なとれとれの

CD(主に復刻音源)を見せてもらってその場で即、

購入したり(注文していた盤を出張のついでに受

取りにも。郵送料が‘浮く'し♪)。スタッフの女性

や長門さんとのマニアックな話もほっこり気分にさ

せてくれたが、そういえば長門さんに初めてお目

通りが叶ったのはいつ、どこでなのか?これまたはっ

きりと思い出せないのだ。店舗時代にはどなたと

もしゃべっていなかったし(人見知りをするので)。

 お名前はパイド~を利用するよりもずっと前から

存知上げていたが、その軸になったのは木崎義二

さん(私を‘育てて'くれた音楽雑誌「ティーンビー

ト」の元編集長で音楽評論家)が毎月発行するポッ

プスの研究誌(いわゆるファンジン)「ポップシク

ル」。ここに私も長門さんも原稿を書いていたのだ

が、気が付いたら仕事(ライナー等)を頼まれたり、

頼んだりするようになっていた。ファンジンという

のは寄稿者も読者もお互いに存在を認め合う仲間

意識というか空気感を共有するようなところがあ

る。それにラジオ番組や取材等でよく一緒になった

山下達郎(彼も「ポップシクル」に書いていた)、

伊藤銀次といったお歴々からもパイド~や長門さん

のことを聞いていたので人見知りをする私でもすぐ

に打ち解けられたのかなぁと思う。外人ミュージシャ

ン等に私を‘うちのヘヴィー・カスタマー 'と紹介し

てくれていた長門さんが主宰する通販「ビリーヴ・

イン・マジック」は時代の流れによりその後

Closedとなってしまったが、アナログからCDへと

移り変わる過程でたくさんの‘音源財産'を私に蓄

えさせてくれたパイド・パイパー・ハウス、それに続

くビリーヴ・イン・マジックに改めて感謝したい♪

Believe in Magic Recordsが発行していたニュースレターの表紙。

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 1975年の開店以来、頑固な音楽観を感じさせる品ぞろえと店内の独特な雰囲気が音楽通の間に熱心なファンを持っていたレコード店、パイドパイパーハウスが諸々の事情により去る6月30日をもって閉店した。7月18日に六本木ピットインで行われたフェアウェル・パーティーには山下達郎、竹内まりや夫妻、矢野顕子、大貫妙子などのミュージシャンをはじめ、関係者が数多くつめかけ、閉店を惜しむとともに、78年から店長をつとめてきた長門芳郎氏の今後の活躍を期待して大いに盛り上がった。 席上、あいさつに立った長門氏は、「店長をつとめていた十数年間に苦しかったことというのはほとんどない。むしろ、レコード店に毎日身を置けることが楽しくてしかたなかった」と語った。パイドパイパーハウスという店は、スタッフのレコードを愛する気持ちを慕って、また信じてレコードを愛する人たちが集まってくるというタイプの店だった。実際、開店当時はスタッフのだれもレコードの仕入れ方法や値段のつけ方を知らず、ただ自分たちが望むレコード店を作ろうという思いだけがエネルギーだったという。それでも、精力的に海外に足を運んだり、海外の音楽誌を読んだりして、良質な音楽の紹介を続けてきた。残念ながら店自体は閉められたが、彼らスタッフによる音楽紹介の仕事は続けられる。「これまでは、店を維持するためにとりあえず自分たちの店でレコードを売る必要があったけれども、これからはもっと広い規模でよいレコードを紹介することが、できるようになった。」と、長門氏は以前にもまして意欲的だ。 当面は、レコードの通信販売とアーチストの招へいを行っていくとのこと。11月には、ローラ・ニーロの来日公演を実現させるほか、マリア・マルダーも年内に招く予定だ。以上の公演と、レコードの在庫など通信販売についての問い合わせは左記まで。

※ パイドパイパーハウス閉店を伝える1989年当時の雑誌記事より

音楽通に愛されたしにせ輸入レコード店パイドパイパーハウス閉店!

PIED PIPER HOUSE ARCHIVES

パイドパイパーハウスで開店当時使用されていたレコード袋。

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パイド・パイパー・デイズ 紙ジャケット・シリーズ 2012好評を博している長門芳郎氏監修の再発シリーズ「パイド・パイパー・デイズ」のスペシャル企画。過去、特に人気の高かった作品を厳選し、紙ジャケット仕様にて発売!! 2012年12月23日発売、Blu-spec CD2、2012年DSDマスタリング。

アリー・ウィリスチャイルドスターアース・ウィンド&ファイアーの「セプテンバー」、「ブギー・ワンダーランド」、マキシン・ナイチンゲールの「リード・ミー・オン」、リタ・クーリッジの「ラヴ・ミー・アゲイン」ほか、数多くのヒット曲を書いた人気女性ソングライター、アリー・ウィリスが唯一残したソロ・アルバムが世界初CD化!名匠ジェリー・ラガヴォイ・プロデュースの下、スティーヴ・ガッド、デヴィッド・スピノザ、トニー・レヴィンらNYの精鋭ミュージシャンが参加。ポップス・ファン必聴の一枚。(EICP30004)

デイビー・ジョーンズデイビー・ジョーンズ1966年にデビュー。「恋の終列車」や「デイドリーム・ビリーバー」など、大ヒットを連発、世界的なスーパー・アイドルとなったモンキーズのメンバーの中で絶大なる人気を博したデイヴィ・ジョーンズが1971年10月にベル・レコードから発表した通算2枚目のソロ・アルバム。ファン待望の日本初CD化。

(EICP30005)

デヴィッド・キャシディキャシディ・ライヴ!デヴィッド・キャシディ人気全盛期の1974年に発表されたライヴ・アルバム。自身のヒット曲「夢みる人」や「高鳴る心」の他にビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」、バッファロー・スプリングフィールドの「フォー・ホワット」、ジョー・コッカーの「デルタ・レディー」、ニール・セダカの「悲しき慕情」等のカヴァーを収録。ファン待望の日本初CD化。(EICP30006)

ザ・マッチニュー・ライトロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オブ・フレンズの名演で知られる「ドント・テイク・ユア・タイム」やロジャー・ニコルズ&ポール・ウィリアムス作の「モーニン・アイル・ビー・ムーヴィン・オン」のカヴァー等を収録。ソフト・ロック・ファンからの人気が高く、CD化が待ち望まれていたハーモニー・ポップの名盤。遂に世界初CD化!(EICP30007)

オリジナル・サウンドトラックトゥギャザー?1979年公開のイタリア映画のオリジナル・サントラ盤。原題『AMO NON AMO』(邦題:抱いて...)、米タイトル『Together?』。作曲・編曲・指揮をバート・バカラック、作詞をポール・アンカ、リビー・タイタスが担当。マイケル・マクドナルド、ジャッキー・デシャノンらのヴォーカルをフィーチャー。AORの名盤としても人気が高い作品。バカラック関連のサントラ・アルバムで唯一CD化されていない貴重な作品が遂に世界初CD化。(EICP30008)