6
(1)平成13年12月10日 66 平成13年度総会開く 醒支援と協力嬰論 題字は第六代塩田会長 秋田市手形字中台 TEL O18(832)9 URLhttp〟wwwaldtahs-Obgr 印刷(有)三 始柚 今年度の通常総会が、去る八月 時からアキタニューグランドホテル れた。総会には県内外から約二ニ○名 し、前年度事業報告、決算、今年度事業 等を慎重に審議して、いずれも原案どおり 猿田五知夫氏(昭和51年卒) の司会で始まった総会は、恒 例により、まず出席者全員で 校歌を五番まで斉唱した後、 物故会員に黙祷を捧げた。 次いで、挨拶に立った丸山 健会長は、この総会が二十一 総会で百三十周年にむけて 支援を要請する丸山会長 世紀最初の記念すべき会であ ることを強調するとともに、従 来の秋高同窓会東京支部が名 称を改めて秋高東京同窓会と なったこと、新たに仁賀保町 に支部が結成されたことを報 告した。 次に高橋幸臣校長が学校を 代表して挨拶に立ち、誇れる 母校をもつ意味の大きさを最 初に強調した後、かねてから の課題であった理数科の活性 化が順調に達成されつつある こと、一学年一クラスずつの 学級減が引き続き進行中であ ること、ワールドゲームズと の関連で夏休みが後ろに一週 間ずれていることなどを報告 し、佐々 時代に触れな 味での文武両道 生徒の育成に全力 を表明、最後に、百三 記念事業への支援と協力 請して挨拶を終えた。 次いで総会は、議事に移っ た。 最初は会務報告及び事業報 告で、斎藤廣孝事務局長が詳 細な資料に基づきながら同窓 会全体の動きを簡潔に報告。 次は常置委員会報告で、企 画委員会は山谷浩二委員長、 財政委員会は速水洋子副委員 長、広報委員会は藤原豪男委 員長、名簿委員会は工藤雄一 委員長に代わって斎藤事務局 長が、それぞれ所管事項を手 短に報告した。 次に平成十二年度収支決算 長計二二 般会計・基金会計・名簿会 )を議題とし、斎藤事務局 の提案した各会計を、小玉 康延監事による監査報告を受 けて、原案通り承認した。 決算の次は、平成十三年度 事業計画及び収支予算案につ いての審議に移り、提案は斎 藤事務局長が行った。 まず、事業計画の方では、 平成12年度一般会計決算 平成13年度一般会計予算 入の部≫ (単位・円) け2年度決算矧l13年度予算額1 金i+2β4之8001l 2牌4001新入会員397人×7 壷阜_芸l14莞呂:霊112,豊:霊懐票㌣人×2脚円 金翠竺毒1語謝 語霊l基金預金利息 入l+ 笑38引 略0(拙預金利息・記念誌売上金など 金l+4ぷ粗飢9l 3鼎99引前年度より繰越 入会協基寄雑繰 1234567 l+22213,6161[19,11639封 《支出の部≫ 一五㌔二者竺云 慧豊隻語∴_…____-こ十二・_季 当[2劇)0β(叫+2期0001嘱託事務職月・相補助・アルバイト貸金 葦‾焉;品劃 霊:矧 霊:霊牒豊品禦写禁書 睦EZ彗」..;.蓋患l禦蟹薫 軒某.__苛‾‾‾禦‘‘Iこ㍉窯.羊盛衰兢壷 2.会 費亡 次楓565]l+ 読札0001常置委員会延10回 支部関係費l l誹粗64糾+1腑支部総会出席旅費・寸志など 朋日 等上潮鵬封つ血繊細紺 だより発行費l 7却)230月+7珊0001年3回鮎0頁発行費・印刷代送料鯛宛名ラベル 母校協力費[1腑El脚l運動部助成金など 新入会員歓迎費l+ 吼66日+6犯0001記念品代・莱・講師謝礼・内状など 費[ 224,9271 51,0001 化係備備 年次強 ∈≡悪霊 若年次同期会通信費懇談会費補助など 知道会との交流諸国用 上蓋il.還憩堅畢準軍 閥整整 全局館 道務料 4.基 費已費 金[1鵬l+1㈱0001基金繰入前年度繰越金約10%以上 等「∴働上側 126‾890 __2町000 枕電・弔電・祝金・餞別など 星L…_……_一_…農蒜十 王芸濃lタ㌣「誓書 竺l18,732:艶19雷雲引 5. 6. ノソhノン。題ノツりソウh一クツンツンソンH一クツツシソンH一クリ九一クツンンンツhノンソンンソンソH題クツンリクHノンり′クンンンH一クンH一クHJクリクHlちクツHJクnノnJちクツシ 企画委員会関連として、当番 年次会の充実、若年次会の組 織化と充実、財政委員会関連 として、予算の適正化と諸会 計の把握、会費納入について の改善策、名簿委員会関連と して、平成十五年度版名簿の 発行、広報委員会関連として、 同窓会だよりの郵送と返送状 況の現状から判断される住所 変更者の届け出の遅れの改善 §§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§§ 今母校が一三〇周年を迎え ようとしている。明治も大正 も昭和すらも遠くなろうとし てる今、それは当然のことな がら極めて偉大な事実である ことに変わりはない。 数多県下の俊英を組合し鍛 錬し社会に輩出して来た実績 は目映いばかりである。その ことは同窓一同の誇りであり、 大いに顕彰されるべき事実で もある。 同窓一同が母校を考えてみ る絶好の機会である。 県立高校としての校史の長 さは全国的にも五指に入ると いわれる。そのことは一口に 伝統ある名門と呼称される由 縁である。”伝統ある名門〞と は尊称である。羨望的命名で もある。当事者の同窓がその ことを甘受し自惚れては問題 外である。 長きが故に尊いだけでは何 の価値もない。長さに培われ た何があるかが問われよう。そ の時に明示しうるものがあれ ば”伝統”も”名門”も本物 以ってか次世代の母校の理念、 校是にするか。 小生が強調したいことの一 つは、”母校愛〞である。全て の源泉はこの一点から湧き出 る筈である。 母校愛があれば、同窓会総 しかしそのことは懸念ある 反面を秘めている。若し寄付 金が一二〇周年と比してあま りにも見劣りがする時は、秋 田高校同窓会の鼎の軽重が問 われかねない。 勿論母校愛と寄付行為とは となる。 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高 校生の四〇%近くが女子生徒 になった今は、文武両道から して形骸化しかねない。何を 会も多くの卒業生が駆けつけ 熱気があり、その裏付けとし ての母校への寄付も一口でも 多く出来る筈である。殊に今 度の一三〇周年は寄付金の強 制はしないとの建前であると 訊く。誠に画期的である。 異質のものである。同時に論 じうるべきものではないこと は百も承知ではある。しかし 世間の視点は時に冷静である と知らねばならない。 県内のトップを保持する高 校として自他共に許されるた めに、同窓として母校の将来 に何が出来るか。県立だから 母校愛が不必要ではない。む しろ県立の模範として何が出 来るかである。 従って、一三〇周年に当り 秋高だよりを通じ”校是”の アンケートを募集してはどう か。ちなみに「文武慈愛飛翔」 が小生からの提唱である。言 うまでもなく文武両道は今後 も保持されるべき伝統の美風 である。女性が加入したこと で慈愛は貴重な校風となって 如るべきである。グローバル 時代に飛翔を忘れてはなるま い。そのためには国際語たる 英会話は在学中にマスターし ておきたい。以上が提唱理由 である。 等について提案があり、さら に、同窓会本部インターネッ トの活用状況、羽城館におけ る企画展についても紹介した。 なお、百三十周年記念事業 協力体制については、昨年末、 実行委員会が結成されて、そ の中に、総務委員会、既存の 四つの常置委員会、さらに校 史資料、施設の各委員会を作 って委員長もすでに委嘱済み である旨を明らかにした。 続いて、斎藤事務局長は、 平成十三年度予算案を提出 (別掲)して必要事項に説明を 加えた。 総会はここで事務局提案の 承認に移り、平成十三年度事 業計画及び収支予算案は双方 とも原案通り承認された。 議事の最後は百三十周年の 記念事業計画案で、前記総務 委員会の小玉得太郎委員長か ら提案があり、従来型の記念 事業のあり方には内容面でも 資金面でもさまざまな改善点 があったことを上げ、新たな 形の記念事業を目指している ことを強調した。 計画案は総務委員長報告通 りに承認された。その内容は 次の通り。 事業を実施するための資金 として三千五百万円という目 標金額を設定し、原則として 一口五千円の募金を全会員に 呼びかける。主な使途は、① 先覚顕彰誌の発行 ②授業用 ピアノの購入 ③女子運動部 室兼トレーニング場の新設 その他の事業(式典・視賀会、 文化交流事業、周年誌発行、 名簿発行) である。 なお、記念事業ではないが、 屋内トレーニング場改修をこ の機会に併せて行うことが了 承された。 総会の最後に、阿部正博前 教頭(現能代高等学校長) 丸山会長から慰労金が手渡さ れ、阿部氏が謝辞を述べた。 閉会後、小畑元氏(大館市 長) による記念講演が約一時 間にわたって行われた。(講演 要旨は二面に) 同窓会入会式案内 平成14年2月1日(金) 午前10時から 秋由高額体育館 新入会員 卒業生396名 先輩激励 講師 藤盛 節子氏 (昭和43年率 秋田市教育委員) 会員多数の参加をお待ちしてます。 粟∵上 秋田の今冬の積雪 は、など天気につい 日の暮らしにかかわるこ けに挨拶代わりにも使われ ことが多い。秋田地方気象台 の長期予報によると、今冬は 平年並みとのことだが、統計 上のことはともかく高齢の方 ほど秋田の気候が変わったと 感じている人が多い。▼地球 の温暖化が進んでいるのは確 かで、海面水位の上昇、大雨 や乾燥での水資源や農林水産 業などへの影響、夏の暑さが 高齢者の健康など様々な面で 大きな影響があり対策が必要 とされている。▼その一つと して風力発電があり全国各地 で建設が進められ二〇〇基以 上も稼働している。県内では、 能代市に二十四基、仁賀保高 原に十五基、秋田市に十基あ るほか鹿角市でも建設が進め られている。▼風力発電はク リーンエネルギーとして利用 されるだけでなく、北海道の 苫前町や山形県の立川町など で町おこしの一つとしても活 用されており、本県でも井川 町商工会では将来の観光資源 とする計画もある。▼エコ対 策の一つとしての風力発電、 日本では発電量から見ると火 力、原子力、水力に比べると 到底及ばないのが現状だ。と はいっても少しずつ進展して いることも確かだ。▼今年七 月に行った政府広報室の世論 調査では、地球環境問題に関 心があると答えた人は、ある 程度も含めて八二・二パーセ ントとなっている。省エネと 言うことがかなり浸透してき ているのではないか。▼個人 の省エネと言うと「冷暖房の 温度調節」「ゴミの減量・リサ イクル」「電気器具のスイッチ をこまめに切る」などをあげ る人が多い。が、地球温暖化 はまだまだ先のことではなく、 すでに身の回りでおきており 個人で取り組めるものはすぐ にでもが必要とされている。

醒支援と協力嬰論 - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/66/dayori_66.pdf · 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高

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Page 1: 醒支援と協力嬰論 - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/66/dayori_66.pdf · 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高

(1)平成13年12月10日                秋 高 同 窓 会 だ よ り                    第 66 号

平成13年度総会開く

醒支援と協力嬰論

題字は第六代塩田会長

発 行 者

秋  田  県  立同校学等高田秋

秋田市手形字中台TEL O18(832)9553

URLhttp〟wwwaldtahs-Obgr.JP/

印刷(有)三 浦 印 刷

始柚

今年度の通常総会が、去る八月十二日盲)、午後二

時からアキタニューグランドホテルにおいて開催さ

れた。総会には県内外から約二ニ○名の会員が出席

し、前年度事業報告、決算、今年度事業計画、予算

等を慎重に審議して、いずれも原案どおり了承した。

猿田五知夫氏(昭和51年卒)

の司会で始まった総会は、恒

例により、まず出席者全員で

校歌を五番まで斉唱した後、

物故会員に黙祷を捧げた。

次いで、挨拶に立った丸山

健会長は、この総会が二十一

総会で百三十周年にむけて

支援を要請する丸山会長

世紀最初の記念すべき会であ

ることを強調するとともに、従

来の秋高同窓会東京支部が名

称を改めて秋高東京同窓会と

なったこと、新たに仁賀保町

に支部が結成されたことを報

告した。

次に高橋幸臣校長が学校を

代表して挨拶に立ち、誇れる

母校をもつ意味の大きさを最

初に強調した後、かねてから

の課題であった理数科の活性

化が順調に達成されつつある

こと、一学年一クラスずつの

学級減が引き続き進行中であ

ること、ワールドゲームズと

の関連で夏休みが後ろに一週

間ずれていることなどを報告

し、佐々木毅東大総長の高校

時代に触れながら、本当の意

味での文武両道を兼ね備えた

生徒の育成に全力を注ぐ決意

を表明、最後に、百三十周年

記念事業への支援と協力を要

請して挨拶を終えた。

次いで総会は、議事に移っ

た。最

初は会務報告及び事業報

告で、斎藤廣孝事務局長が詳

細な資料に基づきながら同窓

会全体の動きを簡潔に報告。

次は常置委員会報告で、企

画委員会は山谷浩二委員長、

財政委員会は速水洋子副委員

長、広報委員会は藤原豪男委

員長、名簿委員会は工藤雄一

委員長に代わって斎藤事務局

長が、それぞれ所管事項を手

短に報告した。

次に平成十二年度収支決算

長計二二

般会計・基金会計・名簿会

)を議題とし、斎藤事務局

の提案した各会計を、小玉

康延監事による監査報告を受

けて、原案通り承認した。

決算の次は、平成十三年度

事業計画及び収支予算案につ

いての審議に移り、提案は斎

藤事務局長が行った。

まず、事業計画の方では、

平成12年度一般会計決算平成13年度一般会計予算

入の部≫                      (単位・円)目  け2年度決算矧l13年度予算額1  摘   要

会  金i+2β4之8001l 2牌4001新入会員397人×7200円

壷阜_芸l14莞呂:霊112,豊:霊懐票㌣人×2脚円金翠竺毒1語謝 語霊l基金預金利息付

収  入l+  笑38引  「 略0(拙預金利息・記念誌売上金など越  金l+4ぷ粗飢9l 3鼎99引前年度より繰越

収 入会協基寄雑繰

《 1234567

l+22213,6161[19,11639封書合

《支出の部≫

一五㌔二者竺云 慧豊隻語∴_…____-こ十二・_季給 料 手 当[2劇)0β(叫+2期0001嘱託事務職月・相補助・アルバイト貸金

葦‾焉;品劃 霊:矧 霊:霊牒豊品禦写禁書印 刷

睦EZ彗」..;.蓋患l禦蟹薫通 信

軒某.__苛‾‾‾禦‘‘Iこ㍉窯.羊盛衰兢壷2.会

役 員 会 費亡 次楓565]l+ 読札0001常置委員会延10回支部関係費l l誹粗64糾+1腑支部総会出席旅費・寸志など

朋日     等上潮鵬封つ血繊細紺だより発行費l 7却)230月+7珊0001年3回鮎0頁発行費・印刷代送料鯛宛名ラベル母校協力費[1腑El脚l運動部助成金など新入会員歓迎費l+ 吼66日+6犯0001記念品代・莱・講師謝礼・内状など

費[ 224,9271

[  51,0001

化係備備 基

年次強∈≡悪霊

若年次同期会通信費懇談会費補助など知道会との交流諸国用

上蓋il.還憩堅畢準軍閥整整

全局館

道務料

知事資

4.基

費已費

金[1鵬l+1㈱0001基金繰入前年度繰越金約10%以上等「∴働上側費  126‾890 __2町000 枕電・弔電・祝金・餞別など

星L…_……_一_…農蒜十 王芸濃lタ㌣「誓書

竺l18,732:艶19雷雲引

会同 窓5.

6.

慶  弔雑

予 届合 言

ノソhノン。題ノツりソウh一クツンツンソンH一クツツシソンH一クリ九一クツンンンツhノンソンンソンソH題クツンリクHノンり′クンンンH一クンH一クHJクリクHlちクツHJクnノnJちクツシンソH一クツH」クnノツhノnノシソツhノhl′シhソツLソhソhりろクンり題クソノンH題クツH一クHJクhクツ。

企画委員会関連として、当番

年次会の充実、若年次会の組

織化と充実、財政委員会関連

として、予算の適正化と諸会

計の把握、会費納入について

の改善策、名簿委員会関連と

して、平成十五年度版名簿の

発行、広報委員会関連として、

同窓会だよりの郵送と返送状

況の現状から判断される住所

変更者の届け出の遅れの改善

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

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§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

§

今母校が一三〇周年を迎え

ようとしている。明治も大正

も昭和すらも遠くなろうとし

てる今、それは当然のことな

がら極めて偉大な事実である

ことに変わりはない。

数多県下の俊英を組合し鍛

錬し社会に輩出して来た実績

は目映いばかりである。その

ことは同窓一同の誇りであり、

大いに顕彰されるべき事実で

もある。

同窓一同が母校を考えてみ

る絶好の機会である。

県立高校としての校史の長

さは全国的にも五指に入ると

いわれる。そのことは一口に

伝統ある名門と呼称される由

縁である。”伝統ある名門〟と

は尊称である。羨望的命名で

もある。当事者の同窓がその

ことを甘受し自惚れては問題

外である。

長きが故に尊いだけでは何

の価値もない。長さに培われ

た何があるかが問われよう。そ

の時に明示しうるものがあれ

ば”伝統”も”名門”も本物

以ってか次世代の母校の理念、

校是にするか。

小生が強調したいことの一

つは、”母校愛〟である。全て

の源泉はこの一点から湧き出

る筈である。

母校愛があれば、同窓会総

しかしそのことは懸念ある

反面を秘めている。若し寄付

金が一二〇周年と比してあま

りにも見劣りがする時は、秋

田高校同窓会の鼎の軽重が問

われかねない。

勿論母校愛と寄付行為とは

となる。

謂く、文武両道。謂く、集

中力。謂く矢留魂。

一応尤もである。しかし高

校生の四〇%近くが女子生徒

になった今は、文武両道から

して形骸化しかねない。何を

会も多くの卒業生が駆けつけ

熱気があり、その裏付けとし

ての母校への寄付も一口でも

多く出来る筈である。殊に今

度の一三〇周年は寄付金の強

制はしないとの建前であると

訊く。誠に画期的である。

異質のものである。同時に論

じうるべきものではないこと

は百も承知ではある。しかし

世間の視点は時に冷静である

と知らねばならない。

県内のトップを保持する高

校として自他共に許されるた

めに、同窓として母校の将来

に何が出来るか。県立だから

母校愛が不必要ではない。む

しろ県立の模範として何が出

来るかである。

従って、一三〇周年に当り

秋高だよりを通じ”校是”の

アンケートを募集してはどう

か。ちなみに「文武慈愛飛翔」

が小生からの提唱である。言

うまでもなく文武両道は今後

も保持されるべき伝統の美風

である。女性が加入したこと

で慈愛は貴重な校風となって

如るべきである。グローバル

時代に飛翔を忘れてはなるま

い。そのためには国際語たる

英会話は在学中にマスターし

ておきたい。以上が提唱理由

である。

等について提案があり、さら

に、同窓会本部インターネッ

トの活用状況、羽城館におけ

る企画展についても紹介した。

なお、百三十周年記念事業

協力体制については、昨年末、

実行委員会が結成されて、そ

の中に、総務委員会、既存の

四つの常置委員会、さらに校

史資料、施設の各委員会を作

って委員長もすでに委嘱済み

である旨を明らかにした。

続いて、斎藤事務局長は、

平成十三年度予算案を提出

(別掲)して必要事項に説明を

加えた。

総会はここで事務局提案の

承認に移り、平成十三年度事

業計画及び収支予算案は双方

とも原案通り承認された。

議事の最後は百三十周年の

記念事業計画案で、前記総務

委員会の小玉得太郎委員長か

ら提案があり、従来型の記念

事業のあり方には内容面でも

資金面でもさまざまな改善点

があったことを上げ、新たな

形の記念事業を目指している

ことを強調した。

計画案は総務委員長報告通

りに承認された。その内容は

次の通り。

事業を実施するための資金

として三千五百万円という目

標金額を設定し、原則として

一口五千円の募金を全会員に

呼びかける。主な使途は、①

先覚顕彰誌の発行 ②授業用

ピアノの購入 ③女子運動部

室兼トレーニング場の新設 ④

その他の事業(式典・視賀会、

文化交流事業、周年誌発行、

名簿発行) である。

なお、記念事業ではないが、

屋内トレーニング場改修をこ

の機会に併せて行うことが了

承された。

総会の最後に、阿部正博前

教頭(現能代高等学校長) に

丸山会長から慰労金が手渡さ

れ、阿部氏が謝辞を述べた。

閉会後、小畑元氏(大館市

長) による記念講演が約一時

間にわたって行われた。(講演

要旨は二面に)

同窓会入会式案内日  時 平成14年2月1日(金)

午前10時から

場  所 秋由高額体育館新入会員 卒業生396名

先輩激励 講師 藤盛 節子氏

(昭和43年率 秋田市教育委員)

会員多数の参加をお待ちしてます。

粟∵上〓天下

秋田の今冬の積雪は、気温

は、など天気については、毎

日の暮らしにかかわることだ

けに挨拶代わりにも使われる

ことが多い。秋田地方気象台

の長期予報によると、今冬は

平年並みとのことだが、統計

上のことはともかく高齢の方

ほど秋田の気候が変わったと

感じている人が多い。▼地球

の温暖化が進んでいるのは確

かで、海面水位の上昇、大雨

や乾燥での水資源や農林水産

業などへの影響、夏の暑さが

高齢者の健康など様々な面で

大きな影響があり対策が必要

とされている。▼その一つと

して風力発電があり全国各地

で建設が進められ二〇〇基以

上も稼働している。県内では、

能代市に二十四基、仁賀保高

原に十五基、秋田市に十基あ

るほか鹿角市でも建設が進め

られている。▼風力発電はク

リーンエネルギーとして利用

されるだけでなく、北海道の

苫前町や山形県の立川町など

で町おこしの一つとしても活

用されており、本県でも井川

町商工会では将来の観光資源

とする計画もある。▼エコ対

策の一つとしての風力発電、

日本では発電量から見ると火

力、原子力、水力に比べると

到底及ばないのが現状だ。と

はいっても少しずつ進展して

いることも確かだ。▼今年七

月に行った政府広報室の世論

調査では、地球環境問題に関

心があると答えた人は、ある

程度も含めて八二・二パーセ

ントとなっている。省エネと

言うことがかなり浸透してき

ているのではないか。▼個人

の省エネと言うと「冷暖房の

温度調節」「ゴミの減量・リサ

イクル」「電気器具のスイッチ

をこまめに切る」などをあげ

る人が多い。が、地球温暖化

はまだまだ先のことではなく、

すでに身の回りでおきており

個人で取り組めるものはすぐ

にでもが必要とされている。

Page 2: 醒支援と協力嬰論 - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/66/dayori_66.pdf · 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高

第 66 号Jlよだ会窓同高秋(2)平成13年12月10日

と…各i⊇  ‥T .iこ⊇

. 一

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大館市は農業、林業、鉱工

業が中心の町である。

平成六年、市長になって三

年目、インドネシアに出張中

に、鉱山の閉山を知らせるフ

ァックスが届いた。早速帰国

して通産省に行くと、リサイ

クルをやるように勧められ、承

知した。つまり、鉱山がなく

なったことがリサイクルの出

発点であった。

リサイクル・マイン・パー

クと命名された新しい事業は、

つぶれた鉱山の施設を使って

新たな産業を起こす試みであ

った。地下から掘ったものを

直接利用する時代は終わり、

地下資源を利用して製造され

たが古くなって捨てられてい

るものを再利用しょうという

のがリサイクル・マイン・パ

ークの考え方である。捨てる

神あれば拾う神ありである。

リサイクル関連法はきわめ

て多く、ここ十年間で二十本

∵ハ/つ/ハ∴ナノつ/ク予ノ㌧人/八/\

もの法律が新たにつくられた。

一本の法律があれば一つの

業界がメシを食える。二十本

の法律があれば、二十の産業

が起きてもおかしくない。し

かし、現実にはまだそこまで

いっていない。

氏(宅春竺三年)

リサイクルでの経済効果にかけると語る小畑元氏

大館では、最初は同和鉱業

の選鉱場を活用してリサイク

ル事業を始めたが、当初の市

民の反応は、ゴミを持ってく

るなというものであった。し

かし、衆議院選挙で二度落選

していた私が、「投げればゴミ、

使えば市長」と訴えたら理解

してもらえた。

広島県に毒ガスを製造して

いた島があった。そこの汚染

された土壌から批素と鉛を取

り除いてリサイクルするのが

大館での最初の仕事であった。

県内でもカドミ米は古くて

新しい話である。本県が鉱山

県であるというのは、重金属

があふれているということで

もある。重金属汚染された土

壌の洗浄も大館市ではやって

きたが、そうしたことが実現

できたのは、基本的に地域住

民の理解と納得が得られたか

らである。

大館市は、環境保全に関す

る国際的な認証マークを取得

している。これは、自動車を

運転する際の免許証みたいな

もので、リサイクル事業を行

おうとする自治体には不可欠

のものである。

今年の四月一日から家電リ

サイクル法がスタートした。大

館では、年間十数万台の家電

製品をリサイクルする計画で

現在動いている。

テレビを処理できるという

ことは、あまたのOA製品も

処理できるということである。

大館では、家電四品目以外に

他の品目も逐次リサイクルを

進めつつある。はずみがつい

てきたところである。

大館では今、新たなリサイ

クル産業を展望しっつある。廃

プラスチック、廃塩ビ、廃木

材である。プラスチックと木

材を混ぜて新たな木を造る研

究が間もなく実用化の段階に

入る。大

館はもともと木材の町な

のに、本物をやめて偽物の木

材を造るとは何ごとかという

批判もないではないが、実は、

この方法は木材を百%生かし

切る手段でもあるのである。

生ゴミと畜糞をうまく混ぜ

てたい肥として活用するリサ

イクルも好評である。ただし

家庭から出る生ゴミはちょっ

と使いにくい。爪楊枝、割り

箸、サランラップ、ゴムなど

実に雑多なものが混じってい

るからである。現在は食品工

場の生ゴミが中心である。

まだ狙上に上らせたばかり

のものとしてガラスがある。色

のついていないガラスのリサ

イクルは実用化されているが、

着色されたガラスについては

まだ研究途上である。敷石に

する研究である。

医療関係の用具・容器のリ

サイクル工場が大館市に建設

中で、ここからは相当大きな

経済波及効果が期待できる。

大館は今リサイクルを軸に

して大きく生まれ変わろうと

している。時代の変化という

のは、思い切って新たな展開

をしていくことで道も開かれ

てくるのである。一つの賭け

ではあるが、何も賭けずして

成果を期待することはできな

い。みずからの首をかけて仕

事するのが自治体の首長の任

務と考えている。

普通、ゴミの処理はトン当

たり三万五千円と言われてい

るが、我々は徹底的な合理化

によって二万五千円を実現し

つつある。ベストプライス、ベ

ストサービスが我々のモット

ーである。

カッキーンと球場にこだま

する球音、塁に向って力走す

る打者の姿、打球を追う野手

の動きどれもが清々しい。結

果がどうあれ、高校野球を観

戦していると元気が出る。三

塁と本塁の延長線上のスタン

ドに座っていると、目に見え

ないものまでが伝わってくる。

だから、たとえ試合が平日で

子供や仲間が一緒でなくても、

年に一度は真夏の高校野球の

応援に足も心も向いてしまう。

この夏、いつも選手たちと

一所に元気いっぱいだったコ

ーチの牧野強さん(昭和47年

卒) の姿を目にすることがな

かった。聞けば今春四十四歳

の若さで急逝されたとい、笑秋

高野球部時代は外野手として

活躍、社会人野球では捕手と

して本県野球の発展に尽くし

た好選手だったし、コーチと

して二十年も常に秋高野球部

とともに歩んだ牧野さんに、後

輩として慎んで御冥福を祈ら

ずにはいられない。球場にい

ちまつの寂しさを感じたもの

だった。

同窓会で加藤幹さんに聞い

た話を思い出した。私たちの

徒がほとんどいない試合があ

った。試合とテストが重なり

最初からの応援ができず、大

急ぎで球場に向かったけれど

球場に着いたら試合が終って

いた実話。不思議だけれど、

いかにも秋高らしいと納得し

ていた。そして振り返ること

らず校内放送が入ったことも

あった。今思えば学校あげて

野球部を応援する心がふくら

んでいたのである。

そして二年生の夏、甲子園

出場をかけた県大会決勝の対

大館商戦は、最初はバラバラ

だった応援も回を重ねる毎に

年次に応援団が廃止され自由

応援となったこと。他校の応

援の規律のよさが、やけに目

に付いたこと。代わりに加藤

さんらがいた応援実行委員会

ができたこと。そう言えば、あ

の頃スタンドに先生が何人か

いらっしゃるのに応援する生

うん十年前の高校生時代、自

分たちだけで世界が回ってい

るような気持ちで、周りがあ

まり目に入っていなかった私

だった。

さて、私たちの一年生の夏、

優勝候補の筆頭にあげられな

がら敗れ、授業中にもかかわ

先頭に立っている応援委員に

協力するようになり、最後は

学校全体が大きく一つになり

2-1で快勝。創立百周年を

十四回目の甲子園出場で飾っ

たのだった。あの大会の感動

が今も無意識に私たちを若き

日々に一瞬に連れ戻してくれ

る。十

年も前、会社勤めの休日、

同級生と羽田のホテルのプー

ルサイドで甲子園での秋高の

試合をラジオの実況で聞きな

がら「これで勝ったら、私た

ちも甲子園に応援に行こう」

と力がはいり、床しい彼女が

思わず大きな声で応援したこ

とを思い出しても、母校野球

部への応援は私だけではない

ような気がする。

高校野球の応援でいえば若

き日々をまたその頃の自分を

ふと思い出させてくれる真夏

の高校時代のあの応援の一ペ

ージが、少しくすぐったく心

地好いものになっているのか

も知れない。その思いととも

に次の夏も団扇を友に年に一

度、校歌を歌う日に、球児ら

のいる秋高を母校にできた喜

びを満喫しようと思っている。

田中隆三は、

元治元年(一

八六四)十月

十五日に、秋

田藩士隆世の

長男として秋

田市楢山本町

(旧秋田郡楢山

表町) で誕生

した。没

落藩士の

生活は厳しく、

幼少年期の田

中も貧乏の悲

哀を味わい尽

くす。食事は日

に二度、それ

も麦飯に菜っ

葉汁、月に一、

二度魚がつく

だけだったと伝えられている。

そのうち父親が心配して、田

んぼからドジョウを取ってくる

ようになり、それを丸ごと煮て

家族に食べさせるようになった。

後年、地位を得てからの田

中は、来客があると手ずから

ドジョウを煮て客人に供し、そ

れが田中家の名物の一つにな

っていたということである。

さて、田中は築山小学校の

前身である楢山学校から太平

学校中学科(現秋田高校) に

入学したものの貧しくて教科

書もろくに買えず、勉強と言

えばまず級友から教科書を借

りてそれを写すところから始

まるという苦学を強いられた。

明治十四年に卒業したが、

成績優秀であったので県費留

学生に選ばれ、晴れて大学予

備門(現東大) に進むことに

なった。が、旅費がままなら

ず、田中は徒歩で上京した。

東大に進学してからも田中

の貧窮状態は一向に改善され

ない。そうした苦学生田中を

援助したのが、資産家の小堀

藤四郎で、後年、田中は小堀

家の娘ナホと結ばれる。

明治二十二年、田中は東大

の法科を卒業すると同時に農

商務省に入ってエリートコー

スの第一歩を踏み出すが、三

十八年に重大な転機が訪れる。

合名会社藤田組(後の同和鉱

業株式会社) への転職である。

明治三十八年当時、藤田組

の小坂鉱業所は技術者不足の

危機にさらされ、その打開策

として、農商務省でも鉱山畑

の経験が長い田中に目をつけ

たのであった。

翌三十九年三月一日、田中

は四代目の小坂鉱山所長とし

て現地に赴任した。鉱山の現

状を自分の目で直接見聞きし

ているうちに田中は、鉱山技

術者の不足は一小坂鉱山だけ

の問題にとどまるものではな

く、鉱山業界、ひいては日本

の産業界全体に関わる問題で

あるとの認識をもつに到った。

秋田県は日本でも有数の鉱

山県である。加えて、農業経

済学者として一流であるのみ

ならず鉱山学の元祖としても

高い評価を受けている佐藤信

淵を生んだ土地柄でもある。

秋田県に鉱山専門の学校を設

立しょうとの構想が田中の頭

のなかでまとまっていくのに

さして時間はかからなかった。

学校設立には最低でも三十

五万円を要する。しかし、意

義は認めた文部省や政府も財

布の紐はきわめて固い。やむ

なく田中がまず民間の援助を

仰ぐと、三菱の岩崎久弥が八

万円、古河の古河虎之助が六

万円を出してくれた。

しかし、順調にいったのは

そこまでで、あとは田中自身

が直接何度も秋田銀行を訪ね

るなどしてやっと実現にこぎ

つけたのである。秋田鉱山専

門学校(現秋田大学資源工学

学部)がスタートしたのは、最

初の構想から三年目の明治四

十四年四月であった。

全国でも初めての鉱山専門

の学校を設立した田中の意識

のなかには、鉱山に関するこ

とはこれで一区切りという気

持ちと同時に、大きな事業を

成し遂げようと思えば、最終

的には政治的な力が必要にな

ってくるという認識が確立さ

れていったようである。そし

てそのことが、官界、鉱業界

と生きてきた田中を政治の世

界に向かわせる原動力になっ

たと考えられる。

田中の衆議院への初出馬は、

明治四十五年五月、四十七歳

の時である。多数の鉱山関係

者や友人知人の支援を受けて

見事に当選。以後も、大正六

年(一九一七)、同九年と順調

に当選回数を重ねていく。所

属政党は政友会から出発、最

後は民政党に落ち着いた。

衆議院当選も五回目になっ

ていた昭和四年(一九二九)

十一月、田中は浜口雄幸内閣

の文部大臣に任命されて入閣

を果たすが、田中の文相起用

は他の議員の急病辞任という

事情によるものであった。

民政党内の順位や適格者と

いう観点から言えば文句なし

に田中になるのだが、この内

閣には同じ秋田県選出の町田

忠治が農林大臣としてすでに

入閣しており、同一選挙区か

ら二閣僚の前例がない。しか

も二人は秋田中学の先輩、後

輩の関係でもある。そうした

ことをことさらに言い立て田

中の入閣に反対する者のない

ではなかったが、さすがに総

理総裁の浜口雄幸はそうした

俗言には耳をかすことなく、田

中の文部大臣は予定通りに決

定したのであった。

昭和十一年、七期務めた衆

議院議員を退いた田中は、枢

密顧問官の大役を仰せつかる。

これは、重要な国務と皇室の

大事に関して天皇の諮問にお

答えするのが主な仕事になっ

ている要職である。田中の能

力や経歴と合わせて人品骨柄

も高く評価されたのであった。

田中は光栄に感激するとと

もに、これが最後の御奉公と

誠心誠意職務の遂行に努めた。

在任まる四年、その間に次

第に老衰が進み、昭和十五年

十二月六日、田中は枢密顧問

官在任のまま自宅で七十六歳

の生涯を閉じた。

Page 3: 醒支援と協力嬰論 - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/66/dayori_66.pdf · 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高

第 66 号(3)平成13年12月10日                 秋

秋の叙勲□□

新堀氏(S釘卒)が勲四等

菅原(S等)、加賀谷(S坤卒)、

藤本(S翠)三氏が

勲五等を受章

この秋の叙勲で同窓生四氏

がそれぞれ勲四等、勲互等の

受章に輝いた。

勲四等旭日小綬章を新堀昭

氏(昭和21卒・旧姓佐藤)が

防衛功労で受章。

勲五等双光旭日章を菅原三

朗氏(昭和25卒)が建設業振

興功労で受章。

また勲五等瑞宝章には加賀

谷悦郎氏(昭和19卒)がスポ

ーツ振興功労で、同じく瑞宝

章に藤本弘氏(昭和23卒)が

総務庁行政事務功労で受章と

なった。

また今年春の叙勲で三浦勉

氏(昭和20卒)が気象業務功

労で勲互等双光旭日章を受章

している。

岩田氏盲28卒)

黄綬褒章受章

また、秋の褒章では長年こ

の道一筋に励んできた黄綬褒

章に昭和二十八年卒、岩田次

夫氏が営業写真家としての業

務精励に対して贈られた。

本県の文化

向上と発展に

貢献した平成

十三年度県文

化功労者に同

窓生二氏が表

彰された。と

もに学芸部門

の功労で昭和

16年卒、高橋

博之氏=筆

名・宏幸日と

昭和25年卒・

大友康二氏の

両氏。高

橋氏は編

集プロダクシ

ョンを設立、

絵本作家として百五十冊の絵

本を出版。児童文学の普及に

尽くした。

大友氏は県体協理事長、常

任理事などを歴任し本県のス

ポーツ振興に尽力した。

阿サ菅ン離

...ヽ

..ヽ

′..

猫雷

大使に

両軸39年卒)

氏(窒晋喜.)

 

 

 

′書’翳魁疏

L

日田i■〇日患

■】lllllllllllllll.一.瑞

且鷺や※圭

昭和三十九年本校卒で大館

市出身の阿部信泰氏が、駐サ

ウジアラビア大使に起用され

た。政

府は、さる十月十九日の

閣議でそれまでウィーン国際

機関日本政府代表部大使の阿

部氏を発令した。

中東が緊迫のときだけに外

務省の軍備管理で核兵器、化

学兵器や原子力の国際協力に

あたり国連外交で活躍した阿

ク、

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36 (サブロク)

十周年記念同期会が

十日(土)・二十一

 

会卒業四

、十月二

日(日)

樹潅   ・・・

の両日、鳥海町にあるホテル

「フォレスタ鳥海」を中心に、

総勢百十五名が参加して盛大

に行われた。

記念行事の最初は、初日の

午前八時二十分にスタートし

た秋田椿台カントリークラブ

でのゴルフコンペから始まり、

これには二十人名の仲間が参

加して汗を流した。

メインイベントである記念

の宴が、「フォレスタ鳥海」の

大広間を会場に堀文雄君の司

会で始まったのは夕刻六時三

十分である。

まず、二十九名の物故者に

黙祷を捧げた後、実行委員会

を代表して本山秀昭君が挨拶、

次いで、来賓として御来駕い

ただいた同窓会の山谷浩二企

画委員長と母校の高橋幸臣校

長から視辞をいただいた。

札幌から駆けつけた加賀谷

弘道君の音頭で乾杯の後、遠

くまで足を運んで下さった四

人の恩師からお言葉を頂戴す

る。B

組担任の芳賀義則先生、

F組担任の畑澤潤一先生、G

組担任の岡準造先生、H組担

任の館岡昇一先生が順次登壇。

懐旧の情とユーモア溢れたお

話に、場内からはいくつかの

掛け声もかかった。

次いで会は、四十周年記念

歌の披露・贈口王に移り、佐藤

善五郎君が経過説明した後、

本山君が高橋校長にCD三十

枚を贈口王、それに対して高橋

校長から謝辞が述べられた。

なお、CDには「四季造遥」

「緑燃え立つ」と題した二曲が

的u闊柑Ⅶ應

日日表題鄭

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∵∴.H・1.....ノ

田”】

田ロ■■ ■

 

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鍼 紺

芸こ:

母校に寄贈されたCD

収められているが、いずれも

作詞は柴山芳隆君、作曲は藤

原義章君で、歌っているのは

相場進君が所属する秋田男性

合唱団である。ピアノ伴奏だ

けは外部の芳賀友子さんにお

願いしたが、CDジャケット

のデザインは造酒興一君の手

になるものである。

宴の終盤には、東京地区を

部大便の手腕が期待される。

阿部氏は東大法学部を三年

で中退、外交官試験にパス。

四十二年外務省に入省。米マ

サチューセッツ州アマースト

大学卒。木村俊夫、宮沢喜一

両外務大臣秘書官を経て西欧

第二課長、経済局審議官、在

マニラ、ボストン総領事、国

連代表部公使、軍備管理・科

学審議官から平成九年九月か

らウィーンで日本政府代表部

大使を務めていた。

秋田南中時代にA・マルロ

ーのフランス史を読んで外交

官の仕事にあこがれ、バスケ

ットボール部で活躍したスポ

ーツマン。

国連外交では本校昭和二十

三年の元国連事務次長だった

明石康氏や同三十七年卒でK

EDO(朝鮮半島エネルギー

開発機構)事務局次長の梅津

至氏ら先輩も多くその活躍ぶ

りが待たれている。

家族は明子夫人との間に二

代表した松岡直昭君と仙台地

区を代表した照井清司君のテ

ーブルスピーチがあり、中村

浩二君と佐々木弘志君のリー

ドで校歌を声高らかに斉唱し

た後、佐々木貞夫君が威勢よ

く中締めをした。

二次会はホテルの大食堂に

会場を移して一段と賑やかに

行われたが、それでも足りな

い面々はさらに小部屋に移動

して深更まで三次会に及んだ。

翌日も前日同様の上天気で、

見事な紅葉の中、大石礼之輔

君が中心になって設定した滝

めぐりコース二十三人、湿原

めぐりコースに四十九人が参

加、金浦町の「はまなす」荘

で昼食を摂るなど、昼過ぎま

で郷土の自然を満喫した。

、     ・・ 、     、、 芸 、 ∴ 、膠 、、・。,

「わらび塵」ゐ歌舞を鑑賞喝

芸術鑑賞教室は、

在校生の情操教育の

一環として一昨年か

らスタートしたもの

だが、今年は十月二

十三日(火)の午後、

秋田県民会館におい

て、「21・飛翔」と

題したわらび座の公

演を鑑賞した。

当日は全校の生

徒・職員の他、希望

する保護者約六十人

も出席して、秋田県

が全国に誇る歌舞団

の公演を楽しんだ。

フォーマンスの素晴らしさは

見るものを庄倒していた。

第二部は、全国各地の民謡

や民俗芸能などを基にした華

やかな歌舞劇のメドレーで、昨

日よりも今日、今日よりも明

日へと前進する人間模様の諸

相が息つく暇もなく展開され

た。生

徒たちのほとんどが、わ

らび座の公演を目の当たりに

するのは初めてで、その独特

の芸術表現様式にすっかり引

き込まれ、多大の感動を味わ

っていたようであった。

当日の演目は、第

一部「和太鼓と舞踊による組

曲『波涛をこえて』、第二部

「歌舞集『歩み一昨日・今日・

明日-」であった。

第一部の舞台は、命を生み

出した海で、人間が生きるた

めの根源的なエネルギーを象

徴的に表現したものであった。

わらび座の伝統の中で培わ

れた太鼓のレパートリーの多

彩さ、太鼓の打ち手同士が会

話しているようなリズムやパ

===∃

記溺日田田

日嗣田

園日

田敷Ⅶ阻日いナ鴛

詩巾淘1・十

R l日

ヽ田

甥〃莞タ看同日転意岳闘

成・

が.ヾ.、

級損沼■

空㌢

£

藤林礫撃掛率攣攣撃軒端読読豪施盛

●藤●車●療●魯●歯●単●藤●懸●命●歯●督●車●魯●命●㊥●番●督●帝●歯●車●療●藩●尊●

男。趣味はゴルフというがク

ラブを握ることもままならぬ

ことになりそうだ。

ロE】

/1∴、\

...1..…(プロ野球ド一手忠義)

十月十九日に行われたドラ

フト会議で、八郎潟町出身の

後藤光尊選手(平9年卒)が

オリックスの十巡目指名を受

けた。後

藤選手は在学時、平成八

年の甲子園にエースとして出

場。卒業後、法政大に進学し

たものの、野球に専念できる

環境を求め一年で退学。翌年

川崎製鉄千葉に入社後、内野

鞄熟熟鷺鮮野

里星”離狩猟 V

熟 稽昔釦絃

〃む境

∵寒

十ナ

手として素質が開花した。

同年の都市対抗野球大会の

チーム準優勝に大きく貢献、

最も活躍した新人選手に送ら

れる「若獅子賞」を受賞。全

日本のメンバーとしてアジア

大会にも出場した。

また十月二十一日、後藤選

手はオリックスと入団交渉し

仮契約。新たに母校出身のプ

ロ野球選手が誕生することに

なった。

母校を訪れた後藤選手は「オ

リックスといえば後藤といわ

れる選手を目指したい」と抱

負を語っている。

後藤選手のこれからの活躍を

大いに期待したいものである。

§違憲崩事Q紺霊㌶芸とちがう代表取締役

恒種已i〇m召 株式会社リューウ建設代表取鵬 春 用巨陸∴≡

(昭和41年率)〒0108062秋田市牛島喪=丁目2番10号TEL.018(83日2210㈹FAX.018(831)2201

(昭和41年卒)

〒0104921

秋田市大町一丁目5番2号TEL O18-862-3571㈹URL http//W2amnneJPrSatO/

株式会社林工務店林工務店一級建築士事務所会

〒011-0943

秋田市土崎港南二丁目5番19号TELO18-845-1863FAXO18-845-6930

代表取締役社長

林 明夫_級建築士(昭和41年卒)

常務取締役

林 康夫_級建築士(昭和47年季)

税理士

長谷部光垂(昭和41年卒)

秋田市大町3 - 4 -1第百生命秋田ビル 8 FPhone O18-865-2441

Fax O18-823-5468

〒〇一〇一〇九〇四

電 話 011.一八 (八

FAX 〇一八 (八

四三)   )

′二葉i八三一五…一○

秋田ターミナルビル株式会社

州抽レ州細腰相田朋も帥ハ人アルス

長崎忠夫(昭和32年卒)

〒010掴530

秋田市中通七丁目 2 -1TEL O18(831)2225

Page 4: 醒支援と協力嬰論 - akitahs-doso.jpakitahs-doso.jp/dayori/66/dayori_66.pdf · 謂く、文武両道。謂く、集 中力。謂く矢留魂。 一応尤もである。しかし高

第 66 号ーノlよだ会窓同高秋(4)平成13年12月10日

紅顔の日々が廷る

..   昭和21・22年率同期会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私ども昭和21・22年卒は、

旧制中学の昭和17年入学であ

るが、21年は戦後特例による

四年での繰り上げ卒業、22年

は旧に復し、五年になった。い

ずれ、戦中、戦後の混乱をま

ともに受け、校舎も転々、旧

十七連隊の兵舎跡で卒業した。

それだけに、学校へは格別

な思い入れを持つ年次である

が、卒業から五十五年を記念

し、同期総会を五月十八日千

秋公園内鯉茶屋で開催した。

今を盛りに咲き誇っている

自つつじの華やかな彩りを背

景にして、それと見紛うばか

りの白頭の面々が、校歌と酒

に酔う程に、紅顔の日々が建

って舞い上がり、また互いの

年輪を語り合う浩然の一夜と

もなった。

(堀井記)

〔前列左より〕

小野悟、鐙屋茂吉、石田達也、

渡辺幸四郎、井筒顕、小西忠

邦、高橋昌一、金子邦雄、上

田和典、宮田強哉、高橋利雄、

加藤三朋、渡辺純夫

〔後列左より〕

佐藤良七、小島鎮夫、佐藤直

一郎、八柳正和、酒井英、沢

田石有一、加藤敏郎、角田澄

美夫、佐藤尚作、武田精一、

伊藤孝悦、佐々木俊文、金子

忠蔵、高橋響二、岡崎金二郎、

堀井孝、佐藤鉄男、高橋徳男

平成十三年

八月十二日午

後六時より、

シャインプラ

ザ平安閣秋田

にて、五年振

りの同期会を

開催しました。

来賓として恩

師五人(池田

柾博先生、谷

村長男先生、

中山吉富先

生、湊潤二郎

先生、小野寺

豊先生)をお

迎えし、同期

生七四人が参

加した楽しい

時間になりま

した。佐

々木章君の司会進行のも

と、物故者十三名への黙祷の

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平成十三

年八月十五

日、秋高

「32会がホ

テルメトロ

ポリタン秋

田において

開催されま

した。恒例

により、日

中は椿台c

cでゴルフ

コンペが行

われ(四パ

ーティ)、午

後六時三十

分から、総

会と懇親会

が開催され

会長の体調不良による辞意の

表明についての話がありまし

た。また前述の一一つの会議に

おいて「32会」が他年次に比

して、活動並びに連絡体制等

について不活発なところ(住

所判明率、会費納入率等)が

見られるので改善に努められ

\、

こ・

贅+ご く.■■日田

ました。本年度は六月二十九

日開催された十三年度の理事

会(旅館条太楼)、八月十二日

同通常総会(アキタニューグ

ランドホテル)を受けての、秋

高同窓会の近況と、当「32会」

の現状を踏まえた、問題あり

ありの総会の開催となりまし

た。始

めに事務局の佐藤嶺夫氏

から、当会の現状、山田靖男

.一日.i岩 田目盛

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たいとの指摘があったことも

披渡されました。さらに佐藤

氏本人からも辞任したいとの

提案がありました。

取り敢えず、会長選出が急

務であり、出席者全員(三十

名) に意見を求めたところ、

「武藤氏は、当会の出席率が

百%であり適任と思う」との

強い推薦の言葉があり、満場

拍手でこれを承認、ここに三

代目「32会会長武藤良英」氏

を選出いたしました。

他の問題については、新会

長のリーダーシップと会員の

自覚と責任において、自主的

に解決を図って行くことで意

見が一致し、無事懇親会へと

進むことができました。

懇親会は、武藤新会長の乾

杯と挨拶で始められ、「同期生

一人一人に声をかけ、出席可

能な会員から率先行動を起こ

し、会の発展のため頑張ろ、つー・」

でスタートしました。宴は例

により、在校当時にタイムス

リップして、互いに容貌の変

化に驚き、批判し、笑い合い、

語り合い、あっという間にお

開きの時間となっていました。

最後に、東京から出席した白

石和彦君が卒業以来校歌を唄

ったことがないと言うことで、

氏の発声により全員で斉唱し、

来年の再会を期し解散、難航

が予想された平成十三年度総

会を、盛会に終了することが

できました。 (囲安志郎記)

山田前32全会長逝く

当「32会」前会長山田靖

男氏が、平成十三年九月二

十五日、逝去されました。

ここに謹んでご報告いたし

ます。山

田氏は秋高卒業後早稲

田大学に進学、鈴木一代議

士の秘書を経て、秋田県政

界へと転出されました。そ

の後のご活躍は言うまでも

なく、その人柄と誠実さ、

胸に激しい闘志を秘めた行

動力で県政界をリードされ

て参りました。まだまだこ

れからという惜しい方を失

ったものだと非常に残念に

思います。

32会会長としては、山脇

初代会長の後を快く引き継

がれ、その温厚な性格で長

い期間、務めていただきま

した。体調が優れないとは

伺っておりましたが、こん

なに早くお亡くなりになる

とは、夢にも考えておりま

せんでした。

32会員一同心からご冥福

をお祈り申し上げます。

後、記念撮影、幹事

代表須藤明君の挨拶、

八柳知徳君の乾杯を

行い歓談の宴に入る

と、久しぶりの再会に

話は弾むばかり。合間

に先生やクラス代表の

テーブルスピーチや、

メーリングリストの紹

介、在校生の制作した

ビデオの上映などを挟

み、また在校時にヒッ

トした曲をBGMとし

て流したこともあり、

ボルテージは上がるば

かりでした。

最後に文化祭のテー

マソングであった「岬

めぐり」を大合唱し、

宴も最高潮に達する

と、更に校歌、校友会

歌を高らかに歌い上げ

三時間の宴は終わり、

再会を約して散会しま

した。

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軍蒜鎧等卒同期会i是 票霊豊里禁ノご時よりi世話人代表 鈴木 孝友(市役所勤務)l

竹内 静子(秋田高校) .し込みまだの方は下記へ連絡下さい。!

「連絡先」秋高同窓会事務局   l

TeJO18-832-9553FaxO18-832-9588」

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昭和二十年の戦時真

最中、旧制秋田中学に

入学し、幾多の学制制

度と教育環境の変化を

経験した三百余名の同

期生が、卒業五十周年

を迎えた。齢七〇歳の

年輪を重ねての同期会

を兼ねた五十周年視賀

会を九月十六日~十七

日、秋田温泉さとみに

て開催できたことは例

年にない感激であった。

来賓として同窓会よ

り丸山健会長、恩師寺

田光和先生、学校より

佐藤勇一教頭、同窓会

事務局より渡部公男氏

のご出席を賜り、当時

の想い出と卒業後五十

年の人生経過を会員間

で語り合えたことは意

義深いものがあった。

祝賀会に先立ち恒例の平成

十三年度総会を開催。最初に

物故された恩師、会員に黙祷

を捧げた後、小泉春雄会長の

挨拶に始まり、各議事等の報

告、審議が行われた。

その後記念祝賀会を会員六

十三名出席のもと盛大に開催。

藤原哲実行委員長より開催の

趣旨説明があり、続いて丸山

同窓会長より学制制度の変遷

を中心にした想い出を現代教

育と比較した講話を頂き一同

感激を覚えた。次いで寺田先

生より、お祝いの言葉と古希

を迎えた会員に対しての常に

若さを保つための健康上のア

ドバイスを頂いた。

佐々木清水関東地区幹事長

の発声による乾杯で開宴。特

に遠路関東地区等より十人名

の出席をみたこともあり会員

間の絆も一層深まったことは

喜ばしいことであった。なか

には五十年ぶりの献酬の交換

もあり、美酒の世界は自然に

盛り上がり、時間を忘れ大い

に杯を重ねた。

尽きることのない想い出を

出席者が一つになり大いに語

り合った初秋の一夜も大団円

を迎えることになり、大石武

君の発声で校歌を斉唱し閉会。

各自の部屋での二次会にのぞ

んだ。翌

日、今後の実のある人生

と再会を固く約束しながら解

散した。

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第 66 号Jlよだ会窓同高秋(5)平成13年12月10日

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札幌支部では、十月十三日

(土)午後六時からホテルノー

スシティ (札幌市中央区)で

平成十三年総会を行いました。

出席会員は三十三名で、さら

に同窓会本部から丸山会長・

斎藤事務局長、母校から伊勢

教頭にご参加いただきました。

また受付では河田啓一郎さん

(S20卒)のインタビュー記事

が掲載されていた印刷会社の

広報誌〝マンスリー・アイワ

ード”も配布されました。

昨年は二十周年記念総会と

いうこともあって、どこか緊

張した雰囲気がありましたが、

今年はリラックスしたムード

の中ですすめられました。播

磨屋支部長が、同窓の明石康

さん(元国連事務局次長)が

著書「生きることにも 心せ

き」を出版されたことを紹介

すると、明石さんと高校時代

に同期だった斎藤事務局長は、

「この本の中にある写真がもう

少し広い範囲で載せられれば

私も入っていたのに…」と残

念そうでした。

また、今年で会長就任九年

目となる丸山会長は、札幌支

部の総会には今回で八回出席

していただいておりますが、こ

れまlで伝八にかけていた校歌の

「:幅へと馳せ行く…」と「…

海に馳せ行く…」のどちらが

良いかなどを解説され、「わか

らないことがあっても歌って

いるとおりでよい」との結論

深緑の木々に囲まれ、落ち

着いた仔まいの「あきたくら

ぶ」で、六月二十二日、同窓

会会長の丸山先輩、事務局長

の斎藤先輩をお迎えし伝統あ

る東肥羽城会が開かれた。

東肥とは昭和十三年、茨島

に秋田県の農業に必要な肥料

を供給する期待の下、設立さ

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れた東北肥料である。

爾来六十三年を経た秋田県

の製造会社としては、永い歴

史を誇っている。その後、東

北肥料の関係会社への出向者

を迎え、ジェムコ、太平物産、

日本海建設、菱化吉野石膏、

東北運輸、東総プラント、東

北施設工業、ダイヤプラザ、

朝日産業、テクノ大手、大目

製作所、東北肥料の名を変え

たコープケミカル等が年に一

度の羽城会で相集い、同窓の

誼を通じて切磋琢磨している。

S32年卒の辻会長によると、

入社した頃の会員は九十名弱

と言うことであるから企業と

してはかなりの大所帯だった。

今は会員も少なくなったが、

「天上はるかに」を高らかに歌

い、互いの健闘を誓い合って

本年を締めた。

(幹事長 高畑重幸)

で、会長就任中にこの問題を

解決できたと満足しておられ

ました。続いて、今回初めて

ご参加いただきました伊勢教

頭先生からは、母校の伝統で

ある質実剛健・文武両道の精

神が守り伝えられていること

や近況についてのお話しがあ

りました。

そして中用量刀さん(S19

卒)が声高らかに乾杯、視宴

に入りました。テーブルスピ

ーチでは二十年四月卒の松渕

清次郎さんが、今年は卒業六

十年を迎えたことで、入学式

があった四月六日に同期生が

東京に集まったことを報告、

得意の詩吟を披露されました。

続いて、今年から参加した会

員にスピーチをお願いしたと

ころ、最初に高橋学君(S63

卒)がステージに立ち、久し

ぶりの若い世代の参加に会場

からは大きな声援が湧き起こ

りました。この後は各自に自

主的にスピーチを続けてもら

うこととしましたが、ステー

ジは空っぽのままとなり、結

局氏名でスピーチをお願いし、

各人各様のお話しに会場が湧

き拍手が続きました。

最後に元応援団だった佐々

木宏志君(S61卒) のリード

で全員が校歌を斉唱、校歌に

続いて「フレ!フレ!秋高!」

のエールでおひらきとなりま

した。こ

こ数年、札幌支部の総会

開催日は晴天が続いておりま

したが、今年はあいにくの雨

となり、コート姿で来場する

人も見かけられましたが、青

春時代を思い出すにつれてお

互いに打ち解けあい、熱い思

いとともに会場を後にした方

も多かったことと思っており

ます。来

年も元気に会えることを

楽しみにしております。

(S亜卒 小野義孝)

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東根小屋町白

亜の校舎の最終

年次、昭和十一

年卒(第四十九

期)の同期会は、

これまで、十数

年、東京烏羊会、

秋田十一紫会と

交流を継続して

きた。開催のた

めの惜しみない

努力は同窓会の

語り草になろう

 

何はともあれ、

”米寿”を目標

にと老骨なんの

そのと、頑張る

同期生の姿に拍

手を送りたい。

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■■

乗京馬羊会五

月十四日

銀座三笠会館

新入会員を迎えますます盛会北都銀行支部総会

恒例の平成

十三年度同窓

会北都銀行支

部総会は十月

二十七日(土)

イヤタカ会館

にて行われま

した。始めに

斎藤千哲支部

長 (昭41卒)

の挨拶があり、

続いて決算報

告等の議事が

あり無事終了。

その後、当

日の会場をお

借りした(株)

イヤタカの代

表取締役社長

北島正氏(昭

41卒) の「N

PO設立につ

いて」と題する講演が行われ

一同、貴重で実のある時を過

ごしました。

講演終了後は、丸山健同窓

会長、高橋幸臣校長先生、北

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神正孝(横浜市)、佐藤正夫

(横浜市)、貝塚吉雄(大和市)、

今行雄(東京都)

秋田十l紫会

十月二十三日

大町 協働大町ビル

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〔出席者〕

佐藤岩雄(秋田市)、泉義一

(茨木市)、小田部精一(武蔵

野市)、桜庭庄左衛門(鎌倉

市)、井川雄治(狛江市)、三

〔出席者〕

富永知一(大阪府)、今行雄

(東京都)、市川稔、佐々木六

郎、渡辺純一郎、水谷勝一、

藤原義三、佐藤岩雄、伊藤馨

(以上、秋田市)

島正社長をお招きしての懇親

会に入りました。懇親会は、

斎藤支部長、丸山同窓会長の

挨拶に続いて、「秋田高校の

今」と題する現役秋高生が作

成したビデオの上映、高橋校

長先生の秋高の現状を含めた

スピーチの後、大先輩の佐藤

彰氏(当行元専務取締役、昭

19卒) の乾杯の発声により開

宴。その後、新入会員の紹介

等もあり、大変な盛会となり

ました。

懇親会の最後には、小笠原

淳氏(平8卒) のリードによ

る全員での校歌斉唱を行い、

当行専務取締役佐々木攻氏(昭

37卒)が締めの挨拶をとりお

こない終了。明日からの、業

務精励と支部のますますの繁

栄を誓い合いながら、散会し

ました。

お詫びと訂正

平成十三年七月発行の逆

より管了〟第六両の秋高東京

同窓会総会の記事中、「小林

哲也さん」とあるのは「小森

哲也さん」の誤りでした。

ここに訂正してお詫びいた

します。

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宇都宮支部総会

平成十三年八月l日

於 明 治∴屋

同窓会長、事務局長のご出

席を賜り楽しくも意義深い一

刻を過ごしました。

この度は支部の生みの親で

ある秋田銀行宇都宮支店が閉

店することになり寂しく感じ

ております。

磯。

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大曲支部総会

平成十三年六月五日

於工とハイヤホテル

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〔出席者〕

五十嵐卓(S16)、三村一雄

(S16)、冨樫公一郎(S19)、

根本幸蔵(S空、藤田紀一

(S鬱、鈴木末右衛門(S至、

下山彰一郎(S27)、清水貞夫

(S27)、椎名光雄(S型、有

明秀太郎(S空、佐藤康也

(S空、下山維敏(S型、斎

藤正俊(S型、伊藤圭右工門

(S31一、佐々木岩男(S31)、

佐藤照(S31)、松本富雄(S

31)、茂木晃(S31)、大坂昭

治(S型、伊藤聖郎(S型、

高柳恭惰(S至、高橋良一

(S37)、小山田薙(S空、山

本美幸(S型、森本光博(S

型、村上美智夫(S型、石

河知之(S聖、書方清治郎

(S47)、三浦俊一(S竺

ql千秋農材株式会社代表取締役

鎌 田 正 美(昭和42年卒)

包装資材担当取締役

保 泉  修(昭和43年卒)

〒010-0914

秋田市保戸野千代田町1番23号電 話(018)863-9851(代表)FAX(018)865-0792

株式会社松屋(ブティック)

株式会社創伸(寺耕作)代表取締役

新開  仁(昭和42年卒)

轟.砺秋田市中通二丁目1-22TEL O18-835-8315

株式会社鎌田会館

代表取締役社長

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運営本部秋田市中通3-2-44-2FTEL O18-835-2232FAX O18-831-2727

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〒010-0001

秋田市中通6丁目1-24電話(018)835-3711

(昭和42年卒)

本 社 秋田市山王五丁目12-21TEL 862-5371㈹

大町店 秋田市大町三丁目4-45TEL 863 -9009

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第 66 号一

lよだ会窓同高秋(6)平成13年12月10日

運動部の成績

【硬式野球】

・秋季中央地区大会

1回戦

秋田6-3西目

準々決勝秋

田2-1秋田商業

準決勝(7回コールド)

秋田12-2秋田南

決勝

秋田5-7経大附

・秋季東北地区県大会

2回戦

秋田3-6能代工業

【軟式野球】

・秋季大会

1回戦(延長10回)

秋田1-3秋田工業

【テニス】

・中央支部新人大会 参加

・全県新人大会女

子団体 3位

【ソフトテニス】

・中央支部新人大会

団体男子 3位

・全県新人大会

団体男子

1回戦

2回戦

団体女子

1回戦

2回戦

【ラグビ⊥

秋田3-0能代西

秋田0-3大曲農

秋田2-1鷹巣

秋田0-3由利

・中央支部新人大会

1回戦

秋田12-31秋田中央

順位決定戦

秋田38-7秋田南

・全国高校選手権大会県予選

2回戦(抽選で敗退)

秋田24-24秋田中央

・星口同校新人大会

1回戦

秋田lD-0能代工業

準々決勝秋

田12-36秋田工業

順位決定戦

秋田33-0大館鳳鳴

【サッカ⊥

・中央支部新人大会

予選リーグ

秋田3-2経大附

秋田1-0男鹿工業

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吹奏楽′吹奏楽部の演奏会が十一月

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分三叉路会」主催により秋田

北中学校体育館で催された。

当日は会員はじめ近隣の方々

も見え、温かい雰囲気の中で

の週末演奏会となった。曲目

は映画「千と千尋の神隠し」

の主題歌『いつも何度でも』

はじめ5曲が演奏された。キ

ャプテンの斉藤いつきさんは

終了後「地域の方々に喜んで

いただきうれしかった。」と感

想を述べている。

吹奏楽部は今夏開催された

「全日本吹奏楽コンクール」の

中央地区大会・県大会で共に

秋田2-2秋田西

準決勝

秋田0-2秋田南

・全国高校選手県予選

2回戦

秋田6-0雄勝

3回戦

秋田0-4経大附

・全国新人大会

1回戦

秋田5-0大館工業

準々決勝秋

田0-3新屋

【バレーボール】

・県選抜大会

1回戦

秋田0-2雄物川

【バスケット】

・全国高校選抜県予選大会

秋田82-75西仙北

秋田53一皿由利工業

【卓 球】

・中央支部新人大会団

体 3位

【弓 道】

・中央支部新人大会

男子団体 3位

・全県新人大会男

子団体 3位

【山 岳】

・全県新人大会男

子団体 3位

女子団体 2位

金賞を受賞した。東北大会出

場は惜しくも逸したものの県

金賞は十数年ぶりということ

で盛り上がっており、現在は

笹淵先生のご指導のもと年末

の「クリスマスコンサート」に

向けての練習に励んでいる。

[㈲胤湘胤胤]

【合 唱】

・県青少年コンクール

声楽 最優秀金賞

畑澤 紘

【写 真】

・県高校総合美術展(写真)

推奨 佐藤香菓子

【囲 碁】

・全国高校囲碁選手権

個人戦参加 石川 惇

男子個人 総合

3位 小林

男子個人 読図部門

2位 三浦

2位 伊藤

諒唯 晃

男子個人 天気図部門

2位 小林 晃

女子個人 知識部門

2位 近間由衣

3位 五十嵐梓

【ボート】

・全国高校総体

シングルスカル

準々決勝 進出 北林佑介

・全国新人大会

ダブルスカル

2位 北林・坂田

(東北新人大会6位入賞)

【柔 道】

・中央支部新人大会

団体2回戦

秋田03人残し●金足農

準決勝

秋田02人残し●経大附

決 勝(団体優勝)

秋田03人残し●秋田南

個人無

差別級

+欄短級

一卯短級

全県新人戦

1 2 1 2 1

位位位位位

石井直人

持主 慈

持主 慈

石井直人

金子大輔

・東北地区高校囲碁大会

団体戦参加 石川 惇

【将 棋】

・全国高校総合文化祭

団体1回戦

秋田1-2安古市高校

(広島県)

・新人戦

東北大会出場 土崎龍平

【放 送】

・NHK杯全国コンテスト

アナウンス部門

入選 川村 将

準々決勝進出 相沢昭吾

朗読部門

準々決勝進出 大澤光希

創作ラジオドラマ部門

準決勝進出

・全県放送コンクール 優秀賞

アナウンス部門

団体2回戦

秋田04人残し●秋田西

準々決勝

秋田03人残し●能代工

準決勝

秋田03人残し●能代

決勝(2連覇で全国大会へ)

秋田04人残し●経法大附

個人(1位は全国大会出場)

無差別級 1位 持主 慈

2位 石井直人

【剣 道】

・中央支部新人戦 個人戦

3位 小野健裕

・全県新人戦

団体決勝トーナメント

1回戦秋

田2IO秋田中央

準々決勝

秋田211鷹巣農林

準決勝(代表戦)

秋田1-1秋田南

決勝(優勝、全国大会へ)

秋田3-2秋田商

個人戦 3位 石里呈貝士

【陸上競技】

・中央支部新人戦

二百米

2位 斎藤正秀 23秒17

四百米

2位 斎藤正秀 52秒78

八百米

2位 鈴木暁之2分01秒75

最優秀賞 宍戸幸子

【美 術】

・高校総合美術展

絵画・デザイン 3点入選

【文 芸】

・全国高校文芸コンクール

小説部門優

良賞 堀江悠一郎

短歌部門優

良賞 三浦朋子

入 選 山方 遥

俳句部門入

 選 三浦朋子

文芸部誌部門

奨励賞 『琢 磨』

【演 劇】

・中央区高校演劇コンクール

最優秀賞

・県選抜高校演劇発表会優

秀賞

・全県新人大会

二百米

5位 斎藤正秀 23秒36

八百米

5位 鈴大暁之2分05秒59

四×四百米リレー

6位 2分封秒13

山本・斎藤・武田・岩田

・星口同校駅伝    11位

【バドミントン】

・中央支部新人大会

男子1部ダブルス

2位 佐々木・工藤

【水 泳】

・全県新人大会

四百米自由形1

千六百米自由形

1位

・東北新人選抜大会

【空 手】

・中央支部新人大会

鈴木正妃

鈴木正妃

出場権

参加

00901

会務事項報告

2161821131710272

728181613ク・・ク10 9

12・7

01

通常総会

S26回嬰云華50周年)

総務委員会

第二回広報委員会

札幌支部総会

第二回企画委員会

S36且嬰至卒棚周豊

北都銀行支部総会

第二回名簿委員会

第二回財政委員会

茨城秋高会

男鹿支部総会

追分三叉路支部総会

汀友会土崎支部総会

当番年次会議

近畿支部総会

役員会

理事会

同窓会だより緬号発

哀 悼(敬称略)

謹んで哀悼の

意を表します

13年1

月2月

3月

4月

5月

6月

7月

本良 得義S6

林 直幹S19

加藤周四郎SS

藤本 晋策S29

岸本 武典S30

柴田 勉S34

関 重雄S14

小山慶次郎S31

武藤理市郎S6

石川 信一S27

角田 功S19

中野 治雄S18

藤江 浩三SH

佐藤 文美S7

小松 成仲S6

石郷岡三郎S14

福田 五郎S27

渡辺 民雄S9

0

0

9月

保坂 善孝S32

加藤 達夫S18

池田 正男S31

相沢幸四郎S23

阿部 典寿S41

越後谷洋悦S35

大庭 忠一旧職員

渡部 護S31

伊藤 宏HS

池田 錬二SaO㈹

利部 浩S20聞

鎌田与志美S22

石川一彦S21

山田 靖男S32

11       10

月      月

長桜伊活滝石河中佐沢庭藤水森塚村林藤

満S30

定静S2

周吉S13

功S27

徹S41

敏郎S17

S

2

9

敬惇S12

金也S17

寄贈図書「我が花と心の旅」(写真集)加藤 稔(昭27卒)著

「勝平得之記念館作品集」井上房子(昭29卒)

「リズムはゆらぐ」藤原義章(昭36卒)著

「随筆めぐりあい」丸山 健(昭14卒)著

「チロヌップのキッネ」他 高橋宏幸(昭16卒)著

「式部むらさき」柴山芳隆(昭36卒)著

「生きることにも 心せき」明石 康(昭23卒)著

事務局だより

● 声より」一面に一般会計

決算予算が記載されています

が、本年も会報の全会員への

発送や母校支援などの事業が

順調になされております。

会費を11月まで納入された

方には納入済みのお知らせと

一緒に「だより」を送付して

いますが、その後納入された

何人かの方には再請求の用紙

で送っていますので何卒御了

承下さい。未納の方は御協力

よろしく願います。

●支部や同期会の集まりでは

母校運動部の活躍がよく話題

となります。各部とも練習に

精進を続け、今秋は柔道・剣

道が全県新人戦を制し、全国

大会出場という輝かしい戦果

をあげました。全国大会での

さらなる活躍を期待し、心か

ら応援したいものです。

文武両道に名高い秋高が名

実ともに飛躍することを、同

窓生は期待しています。来年

度の母校生徒のより一層の健

闘を望みたいものです。

●自主自律・文武両道の言葉

が秋中秋高の学校設立の根本

精神を表す校是としてつかわ

れています。今回の「だより」

提言の筆者鷺谷氏より悌周年

に当たり校是のアンケート募

集の提案ありました。広く同

窓生の意見を聞くよき機会で

あり、事務局に案なり考えを

お寄せいただければ幸いです。

●15年度から高校では「総合

学習」なるカリキュラムが始

まります。その一環として同

窓生先輩を招いての文化講演

会をベースに同窓生の人材活

用を通して在校生の広い視野

と教養を養うことを考えてお

ります。その目的で同窓会と

学校からなる在校生同窓生交

流事業協議会をつくり、その

具体化を図る計画をしていま

す。広く各分野で活躍してい

る同窓先輩の積極的な参加・

協力を期待しています。